あおり運転

まれにみるバッシング裁判


池袋暴走事故裁判における飯塚幸三さんへのバッシングが盛んな世知辛い世の中であったりします。


それと言うのも上級国民というキーワードや被害に遭われた方が奥さんと幼い子であったため、火に油を注いだ感じになったのだと思います。

ですが、これはテレビのドラマではありません。

実際に現実で起こった事故であり、その裁判なのです。

バッシングの渦中で大変恐縮いたしますが、この問題を深掘りしてまいります。

裁判では基本、無罪を主張する


どんな事件や事故が起こっても、裁判では基本、無罪を主張します。

これはいい?とか悪い?とかではなく、裁判のシステムによるところであったりします。

裁判は基本、双方の言い分を聞いて、それを法律的にジャッジする場であります。


なので、今回の件で言えば事故を起こした方と被害に遭われた方で言い分が二分するのは常なのです。

たとえ飯塚幸三さんが、

  • アクセスペダルを踏み続けた記憶がない

と発言したとしても、子どもじゃないのでそれをうのみにして終わらせるのではなく、検察側は、

  • アクセルペダルを踏み続けた事実を立証する必要がある

ワケなのです。

なので、裁判ではお約束の光景です。

みなさんはスーツとかリーガルハイとか、テレビドラマでも法律物見てますよね?


確かに感情的に何を言ってるんだ!という気持ちは理解できるのですが、それに対して怒るパワーが無駄だと思う派です。

握手

事実は暴走事故で2名亡くなったというだけ


ここで暴走事故によりお母さんと幼い子の命が奪われたというエピソードもこの事故のバッシングに拍車をかけております。


ですが、事実は暴走事故で2名の方が亡くなられたという事実だけなのです。

裁判の判決や損害賠償などでは奥さんや幼い子が亡くなられたということが焦点になると思われますが、裁判での過失の責任を問う場合は、奥さんや幼い子は関係がないのです。

あくまで暴走事故で2名の方が被害に遭われた事実があるだけであります。

その被害者がおじいちゃんとおばあちゃんであったり、さい銭泥棒とアルコール依存症の方であったとしても、事実は変わらないのです。


たまたま奥さんと幼い子が亡くなったのでみんなの関心を集め、バッシングの高まりも受けてます。

ですが、それはこの暴走事故に対してと言うよりも、その後のマスコミ報道から生まれた憎しみや感情であるように思います。

つまり、この暴走事故自体がメディアにより、ある程度のコンテンツになってしまったということです。

交通事故は誰も得しないという事実


交通事故は毎日発生していて、被害に遭われた方々も全国の至る所にいたりします。

そして、肝心な点は事故を起こした方も被害に遭われた方も、とり返しのつかない人生を送ることになり、苦しまれている点です。

なので、本来は両方とも社会的弱者なのです。

車を運転している方ならわかると思いますが、誰も事故を起こしたくて起こす人はいません。

だって、人の命に傷をつけるし、人の命が亡くなってしまうかも知れないからです。

ですが、毎日起きたり、被害に遭われる方もいるのは、避けようと思っても避けられなかった現実であり、よけようと思ってもよけられなかった現実であったりします。

自分は認知症にならないや自分は事故を起こすはずがないと思うのは勝手なのですが、交通事故は毎日発生しています。

じゃあ、どんな人が事故を起こしているのか?

一部でバッシングが過激になって、飯塚幸三さんの奥さんにまで被害が及んでいるみたいなのですが、それも事件の当事者ではないのです。

単純に家族なだけなのです。


論理的に考えられない人が増えているせいか?

どうも感情のおもむくままにバッシングしたり、非難したりしているみたいなのですが、そこを理解していないとやがては多分、あなたが訴えられる懸念が生じます。

裁判は事実を元に争われます。

事実とは関係のないところで受けた被害に関しては弁済される義務があるからです。

そのことをよく理解していない人がいるみたいなので、バッシングもほどほどにした方がいいように思いました。

飯塚幸三さんは事故を起こしたことにより得をしているワケではないのです。