1.欲求の原理


マルクスが人間の欲求を食欲に見たのなら、フロイトはそれを性欲に見ました。

マルクスの話はこちらです。

フロイトはミスターチルドレンのesという曲がリリースされた際、桜井さんが話しているのを聞いて興味を持ちました。



2.性的衝動 リビドー


フロイトは人間の活動エネルギーをリビドーとし、それを性的衝動としました。

この点をめぐって、性的に違和感を示したユングらと決別することとなります。ユングにあっては心的エネルギーとされております。

ここにフロイトの特徴が表れていて、性的欲求をメインに精神分析を形作ります。

フロイトはもともとヒステリー研究が有名で、ヒステリー研究のとき、夢判断や精神分析を行なっていました。

ヒステリーはキリスト教の教えにより女性が性行為を望むことは社会的に異常行動と考えられていたため、欲求不満からくるヒステリー行動は精神病の一つとされていました。

この当時、やはりキリスト教の影響がまだあるせいか、ユングらもやはり性的な表現には違和感を示し、決別の原因にすらなっております。

3.タブーへの無理解


実際、産婆の手技による性器への直接のマッサージ刺激が効果的だと医学的所見もあり、売春婦や既婚女性はこの施術を行うより配偶者(異性)との性行為が効果的であるという見解もあったのです。

このことが当時なかなか理解されなくて、フロイトも権威への尊敬よりも事実に対する敬意が優先されなくてはならないと怒っております。

精神分析学入門は、このヒステリー症状が話すことによって緩和されたとする学問です。

なので、性的欲求不満は話すことによりいくらか解決を見るという姿勢をとります。

そしてこのことはその後のエス・自我・超自我の理論へもつながっていきます。

4.esの発見(es・超自我)


es(エス)が人間の本能的な性的欲求で、超自我が検閲します。この超自我に当たる部分が幼少期の母親からのアレしてはダメ、コレしてはダメといった禁止命令です。

このes(エス)の本能的な性的欲求が超自我の禁止命令に検閲され、自我が形成されると見ます。

つまり簡単に言うと、es(エス)は本能に当たり、超自我は道徳に当たる部分です。

本能は道徳からの検閲を受け、自我が形成されますが、必ずしも本能はそれを受け入れられないとします。それがヒステリーだったり、性的衝動の何かしらの欲求が解決されない状態だと結論づけたので、ユングらは離れていってしまったのでした。その当時の知識人は実に不快な顔をしたと述べてます。

フロイトは実際に現場で夫人らを診察し、そのことを分かっていたのです。ところがその通りに報告したところ、知識人はそんなはずはないと不快な顔をしたのだと思います。

まさに、事件は会議室で起きてるんじゃない! 現場で起きてるんだ状態! です。

キリスト教の教えにより女性が性行為を望むことは社会的に異常行動と認識されていたご時世を見ると、ユングらもこういう人と一緒に仕事をしていては我々の心理学を普及させることが困難になると判断したに違いないと思ってしまいます。事実というよりも…。

けっこういつの時代も過激な事実は嫌な顔をされます。

コペルニクスの地動説も、ダーウィンの進化論も…。

それぐらいこのフロイトのes(エス)も過激な事実だったと思います。