太宰治 (2)

1.場がしらけるのを恐れる太宰治の人物像


太宰治と三島由紀夫は好きで昔よく読んでました。

しかしどちらかと言うと太宰治の方に共感を覚えていて、三島由紀夫は面白みのない印象でした。

太宰治の特徴は、本人が薬物中毒であった点や、何よりもけっこう適当な人間で、人によって自分を演じたり、本当の自分が分からなくなっていた点です。

『人間失格』にそのことが特徴的にあらわされておりますが、薬物中毒者の特徴として、親や周囲の期待にあわせて人格を演じたりするから疲れるのです。

それは今多くの心理学者や医学者が指摘しているところです。

親や周囲の期待する人物像と言いますか、太宰治ってこういう人っていう印象を壊すのを恐れるあまり、多分、薬物におぼれた気がします。

実際、太宰治は人を笑わせるのが大好きで、かつ、場の空気がしらけるのを異様に恐れる人でした。

2.正しいことは正しいと言いたい三島由紀夫の人物像


三島由紀夫はどちらかというと西洋的な論理性や芸術性をあわせもった人で、正しいことは正しいと言いますし、美しいものは美しいという人です。

なので、文学に限らず、自分がいいと思ったことやものはどんどん発信してゆきますし、何よりも変化を恐れないと言いますか、なよっとした同性愛者みたいな感じだったのに軍国主義みたいなのにのめり込んだり、体を鍛えてみたりと、自分が興味を抱いた対象にのめり込んでいくタイプの人です。

『仮面の告白』は同性愛を告白したものですし、『憂国』は軍国主義を描いています。

なので、作品も統一性がないと言いますか、けっこうバリエーションに富んでいて多岐にわたる特徴があります。

3.たった一度きりの二人の衝突


そんな太宰治と三島由紀夫は昭和21年12月14日に会うことになり、そこで激しく衝突しています。
ちなみに会ったのはこのときばかりで、その後、会うことはなかったと言います。

んで、太宰治って今で言うチャラ男で、場の空気がしらけるのが怖いタイプの人なので、取り巻きの人たちを笑わせていたり、取り巻きの人も取り巻きの人で気を遣って盛り上げるというか、そんな感じの飲み屋さんで、三島由紀夫は、


『僕は太宰さんの文学が嫌いなんです』


と、きっぱり言ったらしいのです。

もちろん、この前に森鴎外の文学についてどう思うか? 聞いていたらしいのですが、太宰治はチャラ男的要素満載だったので、それもうやむやにされたのが気に喰わなかったのか? はっきり彼の目を見て、そう言ったのです。

それを聞いた太宰治はすっかり慌ててしまって、


『そんなことを言ったって、
こうして来てるんだから、
やっぱり好きなんだよな。
なあ、やっぱり好きなんだ』


と言ったらしいです。

この場面が一番、二人の違いをあらわしていると思ってます。

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4.コンプレックスに向かう価値観


三島由紀夫は嫌いなものや嫌いな人にはきっぱり嫌いと言ってのける人で、それが多分、誠実であるし、本人の為にもなると思っている人です。だって、違っていて、嫌いで、あいそうにないんだもん。
でも、太宰治はそのように断言されることを恐れているし、きっぱり言われてしまうと場がしらけてしまうことをよく知っていて、それを認めたがらない人です。

後日、三島由紀夫は、


『自分と太宰との違いは、そんな時でも
「こうして来てるんだから、好きなんだ」
とは絶対に言わないこと、
それが太宰の文学と自分の文学の違いである』


と述べてます。

多分、コンプレックスとか人間的な弱さの部分で、太宰治はそのコンプレックスや弱さを素直に認めることにお臆病な人で、それを茶化すことによって場の空気を和ませていた人だと思います。んで、自分が道化てピエロのようになって演じていた人なんだと思います。

一方の三島由紀夫はコンプレックスや弱さを認めてしまって、んで、それを恥ずかしがることなくさらけ出してしまって、あっさり腹を割って人間関係を構築していくタイプなんだと思いました。

太宰治の方がどちらかと言うと日本的で、田舎的です。太宰自身、青森の人なんで…。

三島由紀夫の方が国際的で、都会的です。いろんな価値観と言うか、それを認め合う人なんだと思いました。

でも、文学的な面白さも、人間的な面白さも、やはり太宰治の方が人気がありますし、太宰治の方が、何より天才的な空気と言うか、マネできない空気すらあります。

それが魅力の秘密だと思います。

以上、太宰治と三島由紀夫にみる日本人の精神分析の話でした。