神を否定したマルクスとニーチェ


マルクスやニーチェも哲学者です。

哲学者には無神論の方が多いのですが、無神論というのが科学的な物の見方なのだと思います。

日本だといまだに『本当にあった怖い話』なんかが人気だったりするのですが、それって科学をよく理解していない人の話だったりします。

  • なぜ神はいないのか?

マルクスもニーチェもドイツの人ですが、ヨーロッパは昔からキリスト教が強くて、ある意味、キリスト教の呪縛に苦しめられていた経験があるのです。

マルクスの有名な言葉は、

  • 『宗教はアヘンである』


ですが、

ニーチェは、

  • 『神は死んだ』

と言ってます。


実際、このキリスト教圏では神に対する発言はけっこうタブーに近く、その点が有神論者と無神論者を分断したりしています。

ですが、純粋に科学的に考えるとどうやら神はいないだろうという事実にたどりついた二人でした。

なぜ神はいないと言う必要があったのか?


ヨーロッパにおけるキリスト教の支配は、コペルニクスの地動説のように科学的な物の見方を否定する元地となって機能したりしています。

ようはキリスト教的な支配観に立つと天動説で天が回っている方が認識しやすいですし、地動説のように地球の方が回っているのは受け入れがたい科学的な事実なのです。

なので、いくらコペルニクスが科学的に地動説を説明したとしても受け入れてもらえず、禁書にされたりしていたのです。

ニーチェはのちに指摘してますが、このキリスト教的価値観がけっこう道徳的であり、道徳を元地にしているものだったりするのです。


んで、逆に言えば、科学的な物の見方で人間がいろんなことを解き明かし、どんどん豊かになっていくのに対して、このキリスト教的価値観はそれに逆らって苦しみしか生まないという点に気づいた数少ない哲学者の一人でした。

マルクスも同じような論理で、観念論と唯物論を展開し、観念にだけ縛られて逆立ちしていることの滑稽さを物語ったりしています。

ようは頭でっかちになっていて自分一人では自立して立つことができないという意味です。

神様は救いの手を差し伸べますが、実際見た人もいないので、それはあくまで観念の範囲で想像上の物だからです。

んで、この想像上の物がみんなで共有されているから科学的な物の見方が入っていかないと言うことも述べたりしています。

ドイツに見る社会病理


マルクスもニーチェもドイツの人でしたし、ドイツは豊かな社会から貧しい社会へ入りつつありました。

実際、その後、戦争を経験しているので、社会病理はその頃にあったものと推測されます。

豊かな社会から貧しい社会になるせいか?どうかは分からないのですが、救いの手であったり、みんな平等的なかまえでは生き残れないという事実を物語っていると思います。

ニーチェは何度も、

  • 『同情してたらダメになる』

と叫んでいました。

なので、結局のところは神に依存すると言いますか、そういった依存心が人間をダメにするのです。

逆に言えば、依存心が湧いてしまうぐらいなら神は死んだ方がいいのです。

神が死んだら否が応でも自分で考えなければならないので、その方がよく生きれるということを二人は言いたかったのだと思います。

マルクスは、

  • 『ヨーロッパに妖怪があらわれた。共産主義という妖怪が…』

と言って共産主義の国を作ろうとしました。


それぐらいヨーロッパの人たちはキリスト教の神に支配されていて、科学的な物の見方が理解できなかったのです。

以上、神を否定して科学的な物の見方を手に入れるマルクスとニーチェの哲学の話でした。