満員電車11052

操作され、パニックに陥るクラスター


新型コロナウィルスによる不安からか、マスクが高額で転売されているのを法律で規制したり、トイレットペーパーが品切れしたり、食料品の買いだめが起きたりして社会問題になったりしています。


こういったときメディアが触れないのは、いずれも高齢者や女性ばかりで社会的弱者と言われている人たちが比較的、情報を正しくリテラシーできず、マスコミやツイッターか何かの情報が元手となって不安に煽られて、パニックに陥っている点です。


男女平等という理念からか、こういった女性の社会的弱者な面やまたは高齢者の社会的弱者の面を事実通り報道しないので、多分、特殊詐欺のグループや犯罪を悪だくみしている組織なんかが気づき、カモにしている側面があったりしています。

これはツイッターをやっていれば一目瞭然です。

メディアが作った無思考・無批判の精神


メディアの一連の報道も、事実を伝える面に関してはいいのですが、その事実を伝えた際、どのような結果が起こり、どのような問題が起こるのか?考えて報道する姿勢も求められたりします。

けっこう政治の世界も昔からおかしな方向へ迷走していて、頭のいい知識人なんかが衆愚政治だと非難しておりましたが、みんな愚かな衆愚政治でみんな高齢化してきたら特殊詐欺なんかが流行って、でもそれってメディアが作ったんではないんですか?って思ってしまいます。

たとえば常日頃、政治についても疑いの目を向け、批判的に関わっていたのであれば特殊詐欺にもそんなかからないと思います。

ですが、メディアが報じることは絶対的な権威制やブランド意識もあって、無思考・無批判に受け入れた結果が、高齢者の特殊詐欺の増加とトイレットペーパーや食料品の品切れだと思います。

不安を煽ってパニックへ陥らせる手法


何か不安を煽る情報があれば見てしまいます。

またはそのように操作されてます。

その不安によってパニックに陥り、パニック行動を起こしてしまいます。

逆にメディア側にいて、これぐらいのことを想定して報道していない方がジャーナリズムとしていかがなものか?という疑念すら抱いてしまいます。

こういったパニック症状はパニックに陥りやすい人びとを映しますし、映った人びとは高齢者や女性なのです。

ある意味、メディアに映っているこれらのクラスターは非常に操作しやすいカモのクラスターと解釈できたりする気もしています。

高齢者に敬意を表すのはかまわないのですが、それと操作されやすい点は分けて考えます。

同じく、女性に敬意を表す気持ちと、操作されやすい点は分けて考えるのが自然の考え方です。

それはけなしたりしているワケではなく、そういう傾向が見られると伝えているにすぎません。

逆に、事実を隠蔽する方が無責任だし、不親切です。

こういった情報は言語で得られるものではなく、映像という非言語から推測される情報だったりします。

つまりは、気づく部分です。

不景気に突入すると狙われる社会的弱者


不景気に突入すると治安の悪化や略奪や犯罪が増える話はこちらでしました。


日本は比較的治安がいいし、いい人も多いのでそうならないことを願うばかりですが、生存の危機に直面すると何よりも自分が生きることが正義となる場面が多いので、道徳や倫理がなくなるのが常だったりします。

なので、そういうときに困るのは高齢者や女性だと思いますし、やはり社会的弱者が狙われてしまうという点が真っ先に心配されます。

日本の報道はとかくこういう負の側面を覆い隠して報道するのですが、たとえばなんですが、社会的弱者は弱いと認めることが一番難しかったりします。

ですが、認めないことと事実は変わりがなく、認めないことによって社会的弱者にならないということではないのです。

臭い物にはフタ的文化なのですが、社会不安や経済不安があるからこそ、正しい良質な情報を発信してくれることを切に願ったりしています。

webの世界では絶えず情報がアップデートされ、いろんな角度からハックされていってます。

それは人間の弱みであったり、認知の間違いであったり、合理性と非合理性の違いであったり、言ってることとやってることの違いであったり、人間とはおおよそこういう矛盾を抱えているということ自体もハックされつつあります。

なので、社会不安を煽ったり、煽れば煽ったでつられて見てしまったり、見てしまったら見てしまったでいてもたってもいられない気持ちになって買い物に走ったり、マスクが手に入らないことと高額で取引きされることに怒ったり、体が動かせない分、感情は激しく動いて空転したりします。

ですが、本当に国民が一致団結して新型コロナウィルスに向かって立ち臨んでいくとき、いる情報といらない情報や、伝えるべき情報と伝えてはいけない情報を選別するのもメディア側の役目であり、ある意味、パターナリズムなのです。