おにぎり11261

常識が異なる場合の対応



他人のおにぎりを食べられない子どもが増えていて、農家のおばあさんが作ってくれたおにぎりを食べない子どもへどう指導するか? また、おばあさんへどう説明するか? 問うた問題が医学部の入試で出たようです。

常識が異なる際の事実をどのように受け止め、どのように伝えるか? の端的な問題だと思いました。

日本ってやっぱ宗教がないせいか? 異なる常識や意見に遭遇する確率が少なくて、たとえば海外なんかはキリスト教でもカトリックとプロテスタントがあったり、それにイスラム教なんかも加わったりしています。

常識や人の思いは他人に強制できない


だから信じているものも違うし、育った家庭も違うので正直、意見は対立するし、理解する姿勢が必要だし、柔軟にならざるをえません。

日本人ってよくも悪くもそれがないから常識って言えばなんか済まされるような空気すらありますが、でもインターネットの登場で知識すらも常識がなくなりました。

常識とか普通って言う際、考えて欲しいことはそれこそ1億総中流の時代であればそれは1億総中流の常識とか普通だったと思うんですが、今って格差社会で格差が開いてしまったので、多分、常識とか普通って格差下位の方になってしまったんだと思います。

民主主義の怖いところって多数決なんで、多分、格差下位の方が多数なんで、黙っていれば格差下位が普通になり、格差下位が常識になるところです。



民主主義を考える際、子育てをイメージすると考えやすいです。

大人の常識もあるが子どもの常識もあるという事実


なんでも子どもの言う通りに生活をしていくことを想像してください。

大人の意見とかやり方ではなく、子どもの言う通りにすべて合わせていったらどうなるでしょうか?

なので現代社会って、常識とか普通がなくなって、個々それぞれの時代、まさしくダイバーシティの時代になったのだと思います。

それがいいかどうかは別にして、人権は相変わらず尊重するのが原則なので、その範囲で行動していくことが求められます。

「他人のおにぎり問題」にしてもおばあさんの作ってくれたおにぎりを食べられない子どもがいるという事実があります。

その食べられない子どもにも食べられない理由はあるワケで、それをどう指導していくか? 問題になると思います。

また、他方、せっかく作ってくれたおにぎりを残してしまうことに対して、作ってくれたおばあさんに対してどのように事実を伝えていくか? も、おばあさん側の人権問題になります。

今までの考え方では作ってくれたものは食べるのが当たり前ですが、一方で食べられない事実もあります。

それを強制するのではなく、どのように伝えていくか? だと思います。

これって善意と一緒で、人の行為は無にするなってのに似ていて、善意を施したら善意は報われるって価値観もありますし、当然そうなる感じなんですが、実際、私も日本なら平気かと思いますが、これが海外の知らない村とか変な村に行ったりすると食べないだろうな? って思ってしまうところもあります。

昔はそれが海外でしたが、今は日本の中でも起こっていて、正直、私も糖質制限を始めてから精製された糖って毒にしか見えなくて、なんで、砂糖とか小麦に見えるんです。

テレビでタピオカとか言われて流行っている風に報道されても、毒喰ってるようにしか見えなくて、料理番組なんかでも砂糖が使われていると砂糖入れれば何でもおいしく感じるのは当たり前なワケで、それが毒の特徴なのです。って感じなので、正直、常識とか普通がなんなのか? 分からなくなった次第です。