毒親自体、責任転換


ここ何年か毒親というキーワードが流行ってます。

主に精神科医を中心として本など発行されておりますが、こういうのって日本の義務教育が間違っていた証であり、本来の教育が行われていなかったことの結果だと思います。

そもそも毒親って言ってる時点で責任転換だし、自分の責任を棚に上げてって話です。

いい年をして選挙権があれば、それは自分で選択できる意思があると法的に認められているのです。
それが法律です。

自分で選択しないと幸せになれない


幸せかどうかも最近の科学では、どちらかというとお金や環境よりも自分で選択した結果であるかどうかが重要であるという認識になってきています。

つまり今の結果が自分で選択した結果であれば、そんなに不幸になっていないという話です。

逆に今の結果が自分で選択した結果でなければ、不幸である場合が多いという話です。

それはお金や環境にあまり左右されておりません。

親の世代の考えでは通用しない(武田信玄と武田勝頼)


実際、親の世代と子の世代では生まれた時代や環境で考え方は変わります。

たとえば、有名な戦国時代であれば武田信玄と武田勝頼が分かりやすいと思います。

武田信玄は有名な武将で、武田の騎馬軍団で有名ですが、当時、織田信長が鉄砲隊をすでに軍隊に取り入れておりました。

武田信玄が亡くなった後、織田軍が甲斐へ攻め入ることになるのですが、息子の勝頼は武田の騎馬軍を誇りに騎馬軍団で鉄砲隊へ突撃してしまいます。

織田軍団も当時の火縄銃は構えるまで時間がかかったのですが、馬防柵を3段構えで設け、馬の動きを防ぎ、3段構えの鉄砲隊で壊滅的なダメージを与えます。

この際も、武田勝頼にもし騎馬隊ならではの鉄砲隊回避策があればこの危機を乗り切れたかも知れません。

武田軍はみなどちらかというと信玄公よりなので難しいかも知れませんが、この例えは今の高齢化社会の日本に非常にふさわしい例えだと思います。

立場を明確にできない人が増えている


今はスマホやインターネットといったテクノロジーが発達しているのに、そのテクノロジーに理解のない人が生き残れるはずはありません。

実際、仮想通貨やブロックチェーンもスマホやインターネットのテクノロジーです。

私は介護業界で働いてましたが、その際、親の介護をしていた娘さんの状態が深刻な話を聞いておりました。

息子であれば働いたり、働いてなくても社会に出た経験がありますが、娘さんだと社会に出た経験もなかったりしますから、それが親の介護をして、その後、社会復帰とかできないだろうと…。

日本の場合、けっこう独特で、男は若い時からけっこう厳しい指摘などを受け、ある程度の年齢になったら成長しますが、女の場合、そういう指摘も少なく、ヘタすりゃ働いてなかったりもするので、そうなると結果は一目瞭然となります。で、さらに、女性の場合、若ければいいですが、年を取るとそういう気遣いもなくなり、ホント、リアルに残酷な状況に置かれると思います。

そういう人たちがのちに生活保護の申請に来るという話でした。

『会社は学校じゃねぇんだよ! みんな一緒でいられない価値観について』のところで話しましたが、けっこうポジションを取ることが苦手な人が多い気がします。


たとえば意見を言えば、賛成か?反対か?のポジションを取るワケです。

どちらかに立場を明確にします。

男性と女性もどちらかというとポジションです。

男性の側か?女性の側か?っていうこともです。

日本の場合、どちらを取るではなく、どちらともというか、こちらを立てて、あちらも立てる方策を取ったりするので、明確なポジションを取るのが苦手な人が出来上がりやすいと思います。

男につけば女の敵になりますし、女につけば男の敵になります。

それは敵と味方で考えれば自然の摂理です。

また親世代につけば、同年代の敵になりますし、同年代につけば親世代の敵になります。

闘っているワケではないですが、意見や考えなどポジショニングの話ではこのどちらかです。

きれいごとがはやる理由


みんなと仲良くしたい気持ちは理解できます。

その為の世界平和だったりします。

でも、実際、世界では戦争が起こっているじゃないですか?

それって当たり前の話で、自国にポジションを取っているからで、態度を明確にしているからです。

どの国の人も自分の国をよくしたいと思う気持ちは当然の話です。

そういう純粋な感情が極めて重要なので、その気持ちに蓋をしているとのちのち大変なことになるのが、この毒親問題だと思っております。

親の顔色を窺って勉強していたとか、やりたいこともできなかったとか、今言われても困らね?

親が言うから結婚して子供を産んだけど、こんなはずではなかったとか?重過ぎね?

経験がないときれいごとも判断できない


『感情的な人たちが感情論で社会を動かしている理由』のところでも問題点を指摘しましたが、人生においてのある程度の危険予知は必要です。


自動車の運転もそうですが、ヒヤリハットやある程度の危険な経験を経験して、初めて危険予知という予測が可能になります。

それは論理的に考えるのも必要ですが、ある程度の経験も必要です。

つまりまるきり頭の中だけの話ではなく、結局、勉強もある程度の経験がないと、知識とか教養として身についていないという話です。

頭の中に入っていても、実際、引き出せなかった知識は知識じゃないです。多分…。

それは入っていないことと同じと私は考えます。

あとで思い返して反省的に思い出しても、実際、今の現状で適用できない知識は知識じゃないです。

それは単に頭の中に入っていただけの話です。多分、こういう人が多いんだと思います。

インプットだけでアウトプットできない人たちです。

なので学歴あってもロクでもない連中がいるワケだし、お金があってもロクでもない連中がいるワケです。

考えてみれば真面目に勉強して会社に入って、行けば給料もらえる社会の方がおかしいです。

そんなゆるい社会、今までありましたか?

武田勝頼も武田の騎馬軍団があって、毎日戦っていれば一生安泰なワケではなかったでしょう。そもそも鉄砲隊なんてなかったワケだし、あるとき急に鉄砲隊が出てきたワケだし…。

また寝返ったり、どちらかに付くかが非常に重要だったり、それは戦よりもどちらかに付くかが重要だったはずです。そしたら戦わなくて済みますしね?

現代は戦国時代ではないですが、人間関係的には変わらないと思います。

やはり自分にポジションを取ってくれる人を優遇しますし、反対のポジションの人は敵だと思います。

それは性別もありますし、世代もあります。

すべての人と穏便にってワケにはいかないのがリアルです。