正義

日本人のイメージが悪くなるCM?


ナイキのCMがSNS上などを中心に話題になっております。



「動かしつづける。自分を。未来を。 The Future Isn’t Waiting. | Nike」です。

3人のサッカー少女がスポーツを通じて学校や社会でのいじめや差別、自分らしさや悩みを克服してゆく過程が2分間の動画で表現されています。

これに対して一部の人たちが日本人を

  • 『差別主義者の悪者にしてる』とか
  • 『自分の知る範囲は起きていない』

と言った否定をするコメントが発信されたりしております。

でも、実際にそのコメント自体が不都合な真実を隠していることに気がつかなったりしています。

本日はこの問題を深掘りしてまいります。

新型コロナで露呈した日本人の村八分の精神


折しも新型コロナの影響で日本人の村八分感があらわになったことは記憶に新しいかと思います。

  • まさか村八分なんて…

と思っていたことが、実際に感染者が出始めると差別されたり、SNS上で個人を特定される動きが確認されました。

秋田県でも差別をやめるように佐竹知事自身がCMに登場するぐらいなので、問題の根は深いと言わなければならないと思います。


何か問題があった場合や炎上する場合、この批判のコメントが逆に問題の解決を優位にすると思う派です。

きれいごともそうなのですが、きれいごとがあって、きれいごとを並べるのは、逆に言えば、きれいごとの通りにいかない人たちが言う場合が多いからです。

逆な表現をすれば、きれいごとを言わない人はきれいごとの通りいかないことを当たり前だと思っているので言わないと解釈することもできると思います。

今回問題になっている学校や社会でのいじめや差別は現に起こっていることであり、ニュースなどでも報道されていて、しかし、いまだに解決できていない問題としてあるので、事実としてあることには間違いがありません。

それをなかったことにすることはできないのです。


問題は否定するより深く理解した方が得をする


実際に起こっている問題や実際にある問題を否定してなかったことにする人たちがある一定数存在すると思っています。

DV被害であったり、児童虐待であったりする場合もあります。

ですが、それが事実として実在する場合、それを否定してなかったことにするよりはより深く知って解決に向かう方が大人の対応のような気がします。

たとえばDV被害に関する場合、私の父親は私にこそ『少年ジャンプ』2冊を束にしてたたかれた記憶がありますが、母親に手を挙げたことはないので、男性が女性に暴力をふるうという光景のイメージが難しかったりします。

つまり、素でそういう状態が考えられないし、暴力をふるうぐらいであれば別れるような気がするからです。

そして多分、暴力をふるうぐらいであれば自殺すると考えるからです。

ですが、そういった被害が増えていればそういった被害に目を向け、できるだけ話を聞き、問題の原因や解決方法を探っていった方がいいように思うのです。

逆に言えば、私はこの問題のとき、別れるか自殺するを選択するので、そういった男女のいざこざの問題もあるワケで、その原因を突き止めた方が男性にとっても女性にとっても有益な情報になると思うのです。

社会には善いことも悪いこともある


逆に言えばいじめや差別があることが問題ではなく、いじめや差別は起こってしまうととらえた方が結果として得をします。

  • 悪いことも悪いこととしてあります。

  • 善いことも善いこととしてあります。

それは昔からあることです。

そしてそれを否定してなかったことにするよりは、それをより深く知ってならないようにした方が得をすると思うのです。

いじめやいやがらせや嫉妬って、人の感情として存在するのです。

たとえば、

  • あの人を見返してやろう!や

  • ギャフンと言わせてやろう!

とか…。

ギャフンって古い?今、ひさびさに使いました…。

ライバルがいればライバルを蹴落とそうとしたり、目の上のたんこぶ的に嫌な人たちもいますし、そういういじめやいやがらせや嫉妬の感情と向き合いながら生きているのです。

その感情があって、その感情が浮かんだりしているのに、それをなかったことにすることはできません。

そしてそれは必ずしも悪いことではないからです。

逆に言えばそういう感情が人を成長させますし、なにクソ精神で火事場のクソ力になる場合も多いからです。

日本人は本音を隠して建て前のイメージを大切にする


日本人はどちらかと言うと本質よりもイメージを大切にする国民性です。

なので、実際に学校や社会でのいじめや差別が起こっていてもそれを映像として見せられるのはイメージが悪いと考えがちです。

そしてこの問題に対して本質的な回答はいじめや差別をなくすことであり、CMを否定することではなかったりします。

つまりやり方は自由ですが、いじめや差別をすることにペナルティーを化したり、やらない方が得をする環境を作ればいいのです。

やることがカッコ悪くなる環境と言えばいいのでしょうか…。

イメージにこだわるので…。

もしかしたら日本人は論理的よりも感情的な人が多いので、感情との付き合い方の方が苦手なのかもしれません。

そして匿名やモザイク文化に代表されるように隠すことが非常に得意な国民性だと思っています。

ですが、本音と建て前のギャップが開きすぎるとそれを隠すことの方がデメリットとなり、逆にそれに苦しめられる気がするのは私だけなのでしょうか?