村八分

村八分社会の悪意


新型コロナの影響で突如浮かび上がってきた日本の問題なのですが、いじめ問題に代表されるように根が深い問題であったりします。

ただ一つ言えることは、この社会の基本は他人の目や他人の評価を気にすることであるので、それらが気にならない人に関しては無効化できることであったりします。

ツイッターなんかを見ているとそのやり口も徐々に解明されてまいりましたので、以下にまとめてみたいと思います。

あの人なんか変?


ご存じのように社会は異質な物を排除するのが基本です。

なので、あるとき突然、

  • 「あの人なんか変?」

で始まり異質認定される場合があります。

学校教育のような場の空気を読む人たちはそれにより場の空気が変わってしまうので激しく動揺してしまいますが、心配しないでください。

何も変わっていません。

多くの場合、この、

  • 「あの人なんか変?」

と言ってる人自体が変である場合が多いのです。

ただ、場の空気は変わってしまい、場の空気に流されている人たちは激しく動揺してしまうので、ある意味、流れは変わってしまいますが、単純に流れだけなので、その流れはやがて元に戻る場合が多かったりします。

ご存じのようにまともな人は、

  • 「あの人なんか変?」

とは言いませんので、場の空気に流される人たちだけが流されます。

んで、根が真面目でいいヤツは、この場の空気に流された人たちを見てえらく落ち込んでしまいますが、気にしないをもって対策をとることができます。

こういった悪意はこの人たちと関わることが前提となったり、その地域に居続けることが前提になったりするので、関わりを絶ったり、地域を移動すれば黙っていてもなくなります。

人口減少もそうなのですが、多くの場合、こういった村八分社会の悪意が人々を追い出している可能性の方が強かったりしています。


集団で人を精神的に追い詰める


村八分社会の悪意の基本は集団で人を叩くことです。

ですが、これも暴力的である場合は極めて少なく、精神的に叩くことが基本となります。

なので、自殺が多いのだと思います。


こういった自責の念や罪悪感は感じないことをもって対策をとることができます。


自責の念や罪悪感の特徴は、模範となる考え方や理念があって、それとあなたの考え方は違うと人を責めるものであったりします。

そして、根が真面目でいいヤツはその術中にまんまとハマってしまうワケなのですが、そもそも自責の念や罪悪感は法律ではないので、たとえ犯したとしても善意に反するだけであったりします。

格差社会において、弱者の方が圧倒的に増え始めると、弱者に理解されることが必要になるのですが、全部が全部そうなるとは限らず、逆に言えばそのことを苦に強者の方が自殺をしているイメージがあったりします。

新型コロナの影響でこのような嫌がらせや悪意は増え続けますが、逆な表現をすれば嫌がらせや悪意を受けているあなたはどちらかと言えば強者に当たるという事実であったりします。

村八分社会の悪意の特徴はどちらかと言うと強者やお金持ちへ向けられます。

逆に言えば、それ以上の弱者へは間違っても向けられません。

弱者が弱者を叩くと、リアルにかわいそうに映ってしまうからです。

かわいそうな自分を演出する(悲劇のヒロイン)


悲劇のヒロインなんて言葉もありますが、自分がいかにかわいそうな人であるかを伝えることも悪意の一つで使われたりします。


強者と弱者がいて、弱者がいかにかわいそうか伝えると強者ははなはだ困ります。

リストラされたサラリーマンや離婚した人たちが使ったりします。

それは一般に弱音と言われます。


ですが、この状態は病的である場合が多く、単純に悪意と言うよりは不都合な現実を理解するための認知の構造上の問題と考えた方が無難です。

自分には理解しづらかったり、受け入れがたい物を認知するとき、自分が悪くないとした方が理解しやすい場合もあるので、他人に悪意を向けたり、悪く言う場合があります。


なので、必ずしも攻撃的な悪意と言うよりは、認識するための、理解するための悪意とする見方もあると思います。

人の言葉に対して悪意ある言葉はよくないのですが、悪意ある言葉は増えてきたりしています。

そして、それに思い悩んだり、逆に加担したりなんて話もありますが、実際には発している本人ですら苦しんでいる場合が多い点が特徴であったりします。

なので、村八分社会の一番の問題点は悪意で異質な物を排除するのもそうなのですが、自分の恐怖や不安そのものをよく理解していない、分からないというのが一番の問題点である気がしています。

そして、この分からないという一番の問題がかなり重要で、根を深くしているのだと思います。

以上、村八分社会に学ぶ悪意の心理学の話でした。