村八分

『政治』や『経済』よりも『芸能』


元TOKIOの山口達也容疑者が飲酒運転で逮捕されましたが、そのバッシングが止まないぐらい尾を引いているみたいです。


それと言うのもテレビでも視聴率が取れるせいか、トップニュース扱いで報じていましたし、ワイドショーなんかででもかなり特殊な扱いでした。

日本の場合、政治的なことや経済的なことの重要事件よりも、こういった身近な芸能人の不祥事の方が憤りを感じやすいですし、なによりも論じやすいのだと思います。

ですが、それはさながら学校のいじめと同じ問題を呈していて、みんな大人になっても学校時代と変わっていないという話です。

いじめはなくならず連鎖する


いじめ問題があって、学校なんかででも放置されております。

たとえばいじめ問題に真っ向から取り組んで解決したのであればなくなると思うのですが、臭い物には蓋的な感じで放置して素通りしたらなくならないという問題です。

これは気づいてない人もいると思いますが、学生時代にいじめ問題があり、学校を卒業したから解放されると考えるのは、実は、誤りなのです。

問題は放置されているので、おおっぴらになっていないだけで、本質的にいじめは存在していて連鎖します。

大人になったから止めるというのは大間違いなのです。

そのことに気がつきましょう!


いじめは学校だけではない


たとえばこれが学校時代に真っ向から取り組んで、いじめをするとこういったペナルティーがあって、いじめをした側が損をするようであればなくなると思います。

ですが、Murahachibu(村八分)社会は善意をあてにしているので、ペナルティーがいっさいなければ何かの拍子にいじめはしていいとなってしまうのです。

だからこそ、標的としてマスコミは提供し続けますし、標的という概念が存在するのです。

これはいじめがなくならない本質的な原因である気がしています。

いじめの構造のような問題です。

暴力的ないじめは少ない


ですが、幸いなことに暴力的ないじめは少なかったりします。

日本人特有のMurahachibu(村八分)社会のいじめは、どちらかと言うと懲罰意識によるものや仲間外れといった空気的な物であったりします。

それは当ブログで何度も申し上げておりますが、気にしない方法やガン無視が有効な対策であったりします。

Murahachibu(村八分)社会特有の懲罰意識や仲間外れという空気的ないじめは、実際は気にしなければそんなに損失にはなっていなかったりしています。

逆に、気にすれば気にするほど病んでいくのだと思います。

Murahachibu(村八分)社会は一種の独特な道徳観や倫理観が連帯感となっているので、この共通な道徳観や倫理観に反すると攻撃されます。

一般に懲罰意識とは罪を教えてさとすのですが、それ自体、誰の得にもなりません。

本人が悪かったと反省し、立ち直る手助けをする役目です。

ですが、元TOKIOの山口達也容疑者が飲酒運転で捕まった際も必要以上の懲罰意識が飛び出し、視聴者のストレス発散になっているようなところもありました。


マスコミのコンプラ違反


こうしたマスコミの手法は、今ではけっこう法的にグレーゾーンで、元TOKIOの山口達也容疑者も今は仕事をしていませんし、それこそCMなんかにでも出ていないのです。

なかば一般人に等しい人を元有名人というだけで事件が起こったら便乗して報道するのは、人権侵害に当たると裁判をしても勝てると思います。

インターネットの登場で、メディアはテレビだけではなく、ブログやユーチューブもメディアになります。

各々が情報を発信したり、広告を配信したりしています。

なので、ことテレビに関しては不倫や浮気もそうですし、盗撮まがいの報道姿勢で臨むのは、芸能人がテレビ広告のお世話になっているから訴えないだけで、テレビ広告のお世話になってなければ盗撮でマスコミ側が訴えられて負ける案件のような気がしています。

ですが、なによりも視聴者が望みますし、視聴者が見てしまうからです。

ここに日本の劇場型いじめ問題の本質があります。

目立たないヤツや当たりさわりのないヤツを目指せ!


ですが、何回も申し上げますが、この懲罰意識や仲間外れの問題は、あくまで空気的な問題であり、実害はないという点なのです。

こんなことを言われて悲しいや、こんなことを言われて申し訳ないと思う程度で、それが言われたからとか思ったからと言ったところで何一つ実害は及んでいないという点なのです。

テレビ関係ではCMに出ていればイメージが悪くなっておろされたり、仕事が少なくなったりしますが、そのイメージの問題だけであります。

ですが、核にはコアなファンがいたりするので、そのコアなファンを対象に商売をすれば別に気にする必要もないと思われるワケなのです。

罪は確かに悪いですし、できればみなさんから歓迎はされたいと思うのですが、人生はそれだけでないところも事実であったりします。

んで、さらに日本の根深いいじめ問題の本質は、学校時代を思い出すと明らかなのですが、目立たないヤツや当たりさわりのないヤツが得をするのです。

逆に目立つがゆえに変に期待をされたり、カッコよかったり、かわいかったりしたことにより、懲罰意識や仲間外れの対象になったりします。

期待の裏返しがモロ攻撃力へ変換されてます。


異質な物を排除する村八分社会は、異質な物にならないことを強いる社会であると言えるのかも知れません。

それこそ、空気を読んで生きる社会なのです。

以上、Murahachibu(村八分)社会に見るいじめの本質の話でした。