サンタクロース12031

サンタクロースを信じる力が原動力になる


子どもの頃、小学校1年生か、2年生ぐらいまでサンタクロースはいると思っていました。

多分なんですが、幼稚園の頃とか、小学校低学年の頃ってクリスマスイブの夜に枕元に長靴とかが置かれていてお菓子をもらった記憶があります。

そういう刷り込み現象のせいか、サンタクロースはいると思っていて、学校で口論になった経験がありました。

小学生ぐらいのときって、サンタクロースはいる派といない派に分かれたりします。

確かにいないと思うのですが、いない派の論調の方がやけにリアリストで、いる派は反論の余地さえ厳しくなってくるのですが、でも、このいる派の論調にはある意味、夢があったりします。

私自身も現に枕元にお菓子と一緒にゲームウォッチなんかのプレゼントが置かれていたこともあったし、そう思いたい認知機能も手伝って論戦の最前線にいた記憶があります。

学年があがってゆくにつれ現実を知る


やっぱ学年が上がっていくにしたがって、論戦はかなり敗退の様相を呈してくると言いますか、苦しい答弁に終始すると言いますか、けっこうどうもいない派の論調の方が正しい気さえしてきて泣きそうになった記憶もあります。

やっぱ学校の意見って多数派なんで、やっぱいない派が多数派を占めると、いる派は影をひそめ大人のような対応をとっていきます。

あるとき意気消沈した私に気を遣ってか、父親が

  • 「サンタに電話してみるか?」

と言ったことがありました。

ちょうどクリスマス前と言うこともあり、リアリティーがあり、だったら電話してもらお~じゃね~か? って言うぐらいのやさぐれ加減で、電話機のダイヤルを凝視した記憶があります。

大人はバレない嘘をつく


やっぱ大人ってバレないようにやるんで、電話番号の何桁かが読み取れなくて分からなくなったりしました。

父親は真面目にサンタと話していて、どうもいるような錯覚に陥ったりしました。

多分、誰かと組んでいたのか、実際に私も話してみると応答があり、ホントにサンタらしく思った記憶があります。

そういう経験もありましたし、そういう記憶もあったのですが、やっぱ年齢にともなって現実を知ると言いますか、どう考えても嘘っぽいなって言うのが理解でき、現実を直視するようになります。

でも、こういった夢を信じるっていう体験はけっこう重要だと思っていて、就職でも結婚でもそうですが、誰しもやっぱ理想を掲げて理想にまい進したりします。

私がサンタクロースの電話番号を凝視したように…。

サンタクロースは人を信じる力の源泉


たいていの大人ってリアリストと言いますか、現実主義で、現実は違うんだということを教え諭したいワケなんですが、でも、理想と現実のいい意味でのギャップがモチベーションとなり、それが人間の行動力の源になっている気もします。

けっこうゲームと一緒と言いますか、ゲームもやった人はある程度やったなりのやり方とか攻略法を分かっていて、初めての人に教え諭したいみたいな気持ちになりますが、でも、初めての人って初体験なんで、どうしたら攻略できるか考えますし、やり方を覚えたいと思ったりします。

やり方とか攻略法ってある程度のマニュアルで存在はするんですが、それを考えたり、自分で発見するのが好きな人もいるのだと思いました。

そういう人にとってはどちらかというと、現実のマニュアルもあんま必要なくて、自分で考えながら攻略してゆきたいワケなんですが、どうもお節介みたいな人ってそのマニュアルに従って教え諭したいワケだったりします。

夢が裏切られた話はしない方がいい


なので、就職も先輩社員の苦労話とかやさぐれた話にまみれ夢が持てなかったり、結婚も既婚女性の苦労話とかやさぐれた話にまみれ夢が持てなかったりするんだと思います。

はじめから夢のない状態だと誰もそれを選択しないと言うか、それについてのモチベーションさえ保てなかったりします。

こと学習に関してはこの夢を信じるっていう心の作用の方が重要なような気もしています。

私がサンタクロースの電話番号を凝視したように…。

私も青木雄二をリスペクトしましたし、マルクスもリスペクトしましたし、フロイトもリスペクトしました。

ある程度の尊敬がないと学習を継続するのは困難なように思われます。

なので、職場の先輩社員とか既婚女性とかの意見ってあまりリスペクトできませんし、そういうのってけっこう巷に転がっている話だったりします。

信じる者は救われるではないですが、魂の救済とかそういう難しいことは分かりませんが、少なくとも学習環境とか探求心って言うのは磨かれていって救われるのだと思います。