Mushi(無視)という日本文化


Mushi(無視)という文化が日本にあります。

これはツイッターをやっていて気がついた日本独自の文化らしく、海外の人が見れば何が起こっているのか?分からない文化であることがよく分かりました。

日本は多分、島国の影響で他人の目を気にしたり、仲間や絆を大切にする文化が根底にあるのだと思います。

そして、いじめなんかでもよく無視されたり、仲間はずれにされたという理由がよくありますが、これも考えてみれば直接的な被害が及んでいないのに、本人の頭の中で思い悩むケースに分類できると思います。

要は、日本人は根が真面目でいいヤツで、善意が前提となっているMurahachibu(村八分)文化に完全に染まっていることをよく表しております。


Mushi(無視)について考える


Mushi(無視)とは、自分のことを気にされなかったり、自分に気づいてもらえなかったりすることです。

ですが、それは直接的な被害と言うよりは本人の頭の中の『承認』に関する問題だと分析することが可能です。

仲間はずれもそうなのですが、どちらかと言うと、直接的な利害関係よりもこの間接的な羞恥プレイのような気がしています。

そして、一番肝心なことは、それは気にしないことによって無効化が可能だという点です。

これはどういうことか?と言うと、無視なり仲間はずれにあって、それを無視されたと気に病んだり、仲間はずれにされたと気に病まない以上、実害が及ばないという点なのです。

ためしに無視されたことによって何か実害が出ている場合を想定してください。

頼み事をしたのに無視された場合は自分でやればいいし、仲間に入りたいけど仲間はずれにされた場合は仲間に入らなければいいだけの話なのです。

多分、島国なので、無視されることを異常に恐れたり、仲間はずれにされることを異常に恐れたりするからだと思うのですが、無視や仲間はずれはそれだけでは実害が及んでいないことにお気づきになられたかと思います。

あおり運転に見る無視できないマインド


この分かりやすい例として、あおり運転があげられます。


後ろからあおられたり、前から邪魔されたりと、あおり運転もひどくなっていて法律で厳しく取り締まられるようになってしきましたが、肝心なことは後ろからのあおりであればバックミラーを見なければいい話ですし、前からの危険行為であればそれをしっかり見ていればいいだけの話なのです。

それでこの特徴的な点は、みんなあおり運転の車が前で停止した際、お人よしにも一緒に停止して、話を聞こうとするお人よしな点だったりします。

これも極めて謎行動であり、パトカーであれば別ですし、自分の車が何かぶつかったりして被害を受けたり、加害を与えたりしていれば止まる理由は腑に落ちます。

ですが、まるきり被害も危害もないのに、むしろあおり運転の車の方が悪いのに、前で停車したら一緒に停車する謎行動が極めて日本人の人のよさをよく表しております。

それこそ無視したらいい話ですし、自分が急いでいたらあおり運転の運転手に付き合う時間は1ミリも与えたくないワケで、無視して追い越せばいいのに、追い越さなくて停車して話を聞こうとしてしまいます。


この辺に多分、日本人の無視できない精神と無視が何かしらの罪悪感へ訴えかける村八分的な特徴があるのだとも思っております。

無視は無視することによって無効化が可能


人間の精神作用に論理的な部分と感情的な部分があるのですが、日本人の場合、この感情的な部分の方が強すぎるような気がしています。

無視も仲間はずれもそうなのですが、結局は自分が生きているので、自分が困ることであれば、それは実害です。

なので、自分が困らないものに関しては実害ではないので、あまり思い悩む必要はありません。

日本人の多くの場合は、この思い悩む点がメインとなっていっかんの終わり感を醸し出したりしているのです。

たとえば自分に実害が及び、体が傷つけられて痛いとか、悪口を言われて心が傷ついた場合は実害にあたるので、何らかの対処は必要になります。

ですが、この無視や仲間はずれのような直接危害を与えない空気的な羞恥プレーは正直、謎行動の一つです。

私が謎行動だと思うし、海外のツイッターの人もそう思うので、もし気にされて、気に病んでいる方がいたら、無視する人を無視することによって無効化することをオススメいたします。


以上、無視する人を無視する話でした。