マルクス(1)

おしまいのマスメディア


東京新聞の記者が机をたたくなどして暴力行為をおこない、問題となりました。


最近ではマスメディアの方々がすっかり悪事に染まっていって、先々が思いやられる日本社会であったりします。

インターネットの登場により、従来のマスメディアは駆逐されていきます。

もう賢い方ならご存じかと思いますが、近ごろではマスメディアの方でもYouTubeからの引用やツイッターやインスタグラムからの引用の割合が多くなってきたので、まもなく終了なのだと思います。


メディアやテレビではなく動画で知る時代


マスメディアの時代は、物事に対して、良い?や悪い?を主にマスメディアが多数派を重じて形成していました。

ところがインターネットの登場により、良い?や悪い?を個々人が決まられるようになり、その決まられた範疇がシェアされ、多数派を形成してゆく流れとなりました。

以前、企業でもいたずら動画が出回ったり、最近ではいじめ動画が出回ったりしましたが、実際に渦中へいると、良い?のか?悪いのか?よく分からないこともあります。


私立校って言っちゃってますし、学校側は動画でこの事実を知ったんですね?

学校ってなんなのでしょう?

フリップ

そして、往々にして、悪いことであっても、それを悪いと言えないのであれば、それはむしろ共犯になってしまい、あまりあとで言い訳を言えない話でもあったりします。

良いことも悪いことも、人間は実際にその場で経験してみないと、なんとも言えないものであったりします。

せまいコミュニティー Murahachibu(村八分)文化


村八分

先のいじめ動画でも、周囲の人たちは意外に笑っていたりするものです。


それと同じ論理で、ブラック企業も存在しています。


つまり、悪いと言うことを理解していたとしても、その悪いことを悪いと言えなかったり、したがってしまう環境であったり、そういうなぁなぁな関係にいるのであれば、それ自体がやはり問題であるわけなのです。

当事者意識もそうですし、実際に経験するということはこういうことだと思います。


インターネットの世界で起こる良いと悪いの判断も、それを見た個々人がその経験から発したり、シェアしたりできます。

以前であれば、いじめ動画やブラック企業の話なんかも、せまい村のコミュニティーやせまい人間関係の中に埋没してしまい、そういうものなのだ、という諦めに近い答えでした。

ですが、今は極端な話、裁判によらずに良いか?悪いか?判断することができます。

企業によってはSNSの使用を禁止したり、スマホの持ち込みを禁止したりといった事例も目立ちますが、それはあくまで企業のルールであり、就業規則的なものなので、法律や憲法では規定できない範疇であります。

なので、破ったとしても法律的には咎められませんし、逮捕されたりといったことはありません。

もちろん、会社のルールに反するので、契約打ち切りや解雇といったペナルティーはあるかもしれません。

インターネットの登場は、スマホにより個々人をネットワークにつないだので、いろんな個人的な事象を判断できるようになりました。

なので、もう、マスコミは必要ありません。多分…。

上から目線 (2)

国家や企業や組織から個人の時代へ


また、一方で、インターネットの世界はインターネットの世界に富や価値も移行しているので、従来の土地と富や価値を分断しました。

つまり、今、アメリカと中国で貿易戦争なんてやってますが、アメリカのFacebookもアメリカのソフトウェアなのですが、ユーザーは世界中にいるのです。アマゾンも同じです。

また、中国のファーウェイ もファーウェイの会社は中国にありますが、ユーザーは世界中にいるのです。

それが何を意味するのかと言うと、Facebookやアマゾンが使えなくなっても世界中の人たちが困ります。

ファーウェイのスマホが使えなくなっても世界中の人たちが困るのです。

昔と今の違う点は、土地と富や価値が連動していたときであれば、アメリカがそれを奪い、アメリカがそれを独占できました。

ですが、今は連動してなくて、すべてインターネットでシェアされているので、アメリカが嫌がらせをしても中国の人のみならず世界中の人たちが不便を強いられるのです。

なので、今の時代は戦争をする意味すらなく、かえってそのことが反感を買う世の中となっております。

やるとしたら、ホント、感情的な腹の虫のいどころのストレス解消しか生みません。

つまり、富や価値は奪えないのです。

インターネットで世界を越えているので…。

マルクス (2)

おおよそ、マルクスがやろうとしていた富の独占の廃止や永遠平和の考えが、インターネットの登場で、深く考える必要性もなく実現できるところなのです。


それは皮肉にも共産主義ではなく、自由な市場原理に委ねていたら自然とそうなった感すらあります。

逆に言えば、今の時代は個人が発信するインターネットのツールがあれば十分で、正義も悪も必要なくなったと言える点です。

最終的に、それを支持する人たちが残ればいいし、それを支持しない物や人は残らないと言う話です。

つまり、良い?や悪い?よりも、支持されるか?支持されないか?であり、良い?や悪い?はもはやジャッジしても仕方がないと言う話です。

支持される物や人が残り、支持されない物や人は残らなくなります。

良い?や悪い?ではなく…。

以上、インターネットとテレビと民主主義と価値の話でした。