マスコミ (4)

謝罪会見が大好きな日本国民とそれに群がる群衆


ここ最近の日本の特徴として謝罪会見に群がる人たちが増えていると思うのです。

浮気や不倫の謝罪会見もそうですが、薬物なんかでも湾岸署の入口から出てきて頭をペコリと下げる姿は今や定着した感があります。

そこで本日は、この謝罪について吟味する人の傾向と謝罪が見られるコンテンツになってしまった背景を考察してまいりたいと思います。

同じことをしているのに謝罪の善し悪しで制裁が決まる怖さ


謝罪のプロと言われる人がいて、不思議に思って見ていたのですが、同じことをしているのに、いい謝罪と悪い謝罪があって、その謝罪によってその後の対応が変わると主張したりします。

現に不倫や浮気もやる人によるところがあって、おおむねそのやった人のイメージによって印象が左右されてしまいます。

  • 同じことをしているのに…

です。

同じことをしているのに、

  • イメージがいい人がすれば

  • イメージを裏切られたとなります。

逆に、

  • イメージ通りの人がすれば、

  • イメージを裏切らえたとはなりませんし、あまり放送自体にもならないのだと思います。

それが同じことをしているのに、人によって、またはその人のイメージによって、印象が変わるのが少し怖い点であったりします。

つまり、

  • きっかけはイメージなので、

その人そのものよりは、

  • その人のイメージによります。

なので、その人が普段接しているその人たちの印象ではなく、

おおむね世間一般のイメージなのです。多分…。

ニュース自体、勧善懲悪の物語になってしまった


イメージを裏切られるということは逆に言えば気になる現象で、それが話題を呼ぶのかもしれません。

つまり、Yahooニュースなんかもそうですし、ついクリックしてしまう、または興味があって見たいニュースに興味が集中する懸念があります。

今までのニュースはマスコミュニケーションで比較的多くの大衆ウケする情報が提供されておりました。

しかしながらある一定の配慮があって、政治であったり、経済であったり、人々が考えるネタが提供されておりました。

ここ昨今のニュースは逆に言えば、政治や経済はタブーであり、または関心がないせいか、不倫や浮気や薬物なんかの悪を取り上げ、それをこらしめる勧善懲悪のニュースと化してしまった感があります。

つまり、ニュースでさえも水戸黄門や遠山の金さんのような型で、最後に悪が出てきて謝るパターンなのだと思います。

どちらかと言うと政治や経済の複雑な問題よりも、浮気や不倫や薬物といったごく身近な問題の方が悪も分かりやすく叩きやすいのです。多分…。

意味がないことを取り上げて盛り上がる国民性


ツイッターなんかを見ていると、忙しい人たちはこういった会見を見ていないようなのですが、熱中する人は熱中してタイムラインを埋めていたりします。

こういったことは楽しいし、ネタになるし、話題になるのですが、しかし、そればかりになると何もできない問題も潜んでいたりして怖いのです。

見れば見たで共通の話題が提供されます。

職場や学校でも流行るのかもしれません。

ですが、それを見ても見なくても、さして人生は豊かにもならず、貧しくもならないのです。

職場や学校でも仕事があったり、勉強があったりします。

つい興味があって見っちゃったり、見なかったりします。

見れば話題で盛り上がりますし、見なくてもそれなりにやっていけたりします。

ですが、ツイッターのタイムラインは盛り上がったりしてますし、謝罪のプロが謝罪について評価を下したりしています。

実は差別を生んでいることに気がついていない


同じことをしているのに謝罪によって評価が変わるのは、実は差別を生んでいることに気がついていなかったりします。

最近、ナイキのCMが炎上しましたが、日本人はこういった問題に対して差別を生んでいることに無自覚であったりします。


通常は現象があって、現象を眺めるのですが、さまざまなことを持ち出してさまざまな解釈を加えたりします。

ですが、現象が同じであれば評価は同じでなくてはならず、同じでないということはさまざまな先入観から差別を生み出しているのです。

つまり、イメージや期待やなにかしらの思いがその中に入っているのです。

思い入れで肩を持ったり、思い入れで肩を持たなかったりします。

それは差別なのです。

不倫の会見も当ブログでネタにしましたが、東出昌大さんも登場しましたし、渡部健さんも登場しましたし、ZEEBRAさんも登場しましたし、近藤真彦さんも登場しました。


不倫という意味ではみんな同じ事をしています。

ですが、今振り返ってみても、もう忘れかけていますし、どんなことか思い出せないことも中にはあります。

カッっと頭に血がのぼってその時は熱心に見たりするんですが、意外にどうでもよいことであるし、そういう意味ではマスコミに操れているように思うのです。


今回は謝罪のプロが謝罪の仕方について意見をしてましたし、東出昌大さんの頃って肩パッドって気にしてましたっけ?

なかったのかな?

肩パッドがあって成功した事例が出てくるとそれはそれでどうなんでしょう?

私には謝っている人をいじり倒していじめているようにしか見えないのです。