自分で教育12291

社会を変えるより自分を変えないといけない時代


人権なんかの話があって法律的に他人の人権は侵害してはならない時代になったんだと思います。

昔だったら大体標準的な人間像があって、それに近づけるように教育者なんかが手助けを行なっていたのですが、それも法律とか人権的に、どちらかと言うと法律や人権の方が優位になってしまった為、あまり厳しいことは言えなくなってしまった時代でもあります。

なので、法律や人権の答えは絶対なので、それは無視できず、それに順応して生きていくしか方法はありません。

社会を変えるよりは、自分が変わらないといけない話だったりします。

自分の思いや期待を他人に押しつける文化の終焉


パワハラもセクハラもそうですが、そういう声があり、そういう判決なり、法律的な裁きがあった場合、それは一つの解釈となります。

なので、たとえば会社員であれば上司が厳しくできませんし、なんらかの関係性を変える必要があります。

今までの指示・命令の関係ではなく…。

セクハラも異性に対する際はかなりリスクが高まったので、慎重に敬意を表しつつ接する必要がでてきました。

厳しくなったか、やりにくくなったか?は別にして、こういうことが求められる時代になったのは間違いのない事実なので、その事実に沿って今後を検討していく必要があります。

なので、多分なんですが、基本的なスタンスは他人に無関心と言いますか、かなりの距離を取りつつ、自発性を重んじる形となります。

他人が教育するのではなく自分が自分を教育する


私もけっこう以前は人に対して期待していたり、よくなってもらおうとかなり熱く語ったりしてましたが、どうもそれって根が真面目なヤツの特徴で、都会なんかだとかなり冷めていて、そういう期待はするだけ無駄の精神で、誰も得しないから何も言わない姿勢だったりしてます。

なので、基本はああしたらいい、とか、こうした方がいいって言う、余計なお節介的発言はしなくてもよくなって、それがお節介で他人に対する期待だったりします。

そもそも他人は他人なのだからそんなに期待せず、他人のペースでやるしかないと言うのが今の法律的・人権的解釈で妥当な所だったりします。

イチロー選手はそのことをよく理解していて、自分のことを自分で教育する時代と表現しております。


指導者が指導するのではなく自分がなりたい自分を目指す社会


なので、今までは指導者とか教育者がこうあった方がいい人材を提示していましたし、それに沿って教育を行なっておりましたが、これからはなりたい自分を目指して自ら教育を行なっていかなければいけない時代なはずです。

なので、指導者とか教育者とか上司は、どちらかというと本人がその事を感じるまでは無関心と言いますか、あまり干渉することなく、ホント、見守るしかないという感じが正解なのだと思います。

だって、無理やりではなく、あくまで本人の自発性を尊重しないといけないので…。


人に頼らない生き方もそうですし、過度な期待と言いますか、結局、本人と他人は違っていて、本人が望むものと他人が望むものは違うワケだったりします。

日本人ってとかくみんな一緒の精神なんでそのことをよく理解していないのですが、本来であれば家族も違っていて、奥さんとか子どもとかも同じ人間でも、性別も違えば生まれた時代も違うので、別人とまではいいませんが、本人とは違うのです。

そういうことを尊重してゆきましょうっていう時代もそうですし、逆に言えば、他人に何かを求めるのではなく、他人は他人なので他人の自発性を待つしかない話だったりします。