くらし守るのは政治の責任

働けないと自殺するのか? 働きはじめると自殺するのか?


10月の自殺者が発表されました。


当ブログでも経済死が増えるという問題を提起しておりましたし、新型コロナ不安を煽るあまり経済破綻が迫っているという話もいたしました。

新型コロナは病原のウィルスであり、ウィルスを避けるためには人との接触を避ける必要があります。

一方で無視できないのは経済で、医療費や健康保険料はかかり増しになり、その補填は言うまでもなく保険料や税金です。

なので、この二律背反の問題と言いますか、相矛盾することを同時進行でやらないと命は助かったけど、お金がないという状態に陥ることに気がつく人は少ないような気がしています。

そして、この10月の自殺者をめぐって、永江一石さんとひろゆきさんの間で軽い論争がありました。

ことのいきさつをまとめると、2ch創設者のひろゆきさんは3月に自殺者が減った際に働くのを辞めると自殺者が減るという発言をなされております。

一方の永江さんは新型コロナで自粛が過度になれば経済が潰れ、経済苦の経済死が増えるということをかねてより指摘しておりました。

実際は、永江予言通り自殺者は増えているのですが、それは結果と言いますか、多くは考え方に依拠するものだと思っております。

食べ物があるし食べ物を買えるのに自殺する国


10月の自殺者増加をめぐって、永江さんは永江予言通りなのですが、ひろゆきさんは経済不安の状況は変わっていないので、自殺者が増えたの働きはじめたからと主張します。


これには多分、二つの考え方や欲求が含まれていて、永江さんは仕事による経済的な問題や働きたいや誰かの役に立ちたいや絶望をあげています。

ですが、ひろゆきさんは端的に喰えればいいので、お金を配ったり、生活保護を受給していれば喰えるので自殺する必要はないと考えます。

前者が経済の問題や承認願望を含んでいるのに対して、後者は生きることをテーマにシンプルに考えている好例だと思いました。

生きること、生き残ることをシンプルに考える


永江さんはどちらかと言うと常識的な日本人なので、考え方はすばらしいし、間違いはないのですが、生きること、生き残ることをシンプルに考えた場合は、経済死は負けを意味します。

人生にあまり勝ち負けをつけるのはよくないことなのですが、実際、日本は非常に恵まれていて、海外なんかでは強盗や略奪が増えているのです。

なので、どちらかと言うと自殺が少ない反面、他殺が圧倒的に多いという皮肉な現象になってしまいます。

そして、宗教にもよると思いますが、自分の命を自分で絶つという行為は宗教上も好ましくありません。

もちろん、かと言って、他人に迷惑かけるのもどうかと思いますが…。

なので、仕事や経済活動なんかで人の役に立ちたいや絶望を感じて自殺するなんて考え方もあると思うのですが、それがけっこう日本人の死生観をあらわしているように思いました。

たとえば、仕事や経済活動で絶望するとき、活躍の場が減ったり、収入が減るという事態が想定されます。

これはおそらく当事者になれば想像できますが、

  • 活動の場が減ってだらしなく見えたり、
  • 収入が減ってかっこ悪く見えてしまう、または、見えてしまうように思いこむ

のです。

奥さんや息子さんの前でもそうですし、

  • そのように見えてしまう、
  • または、見えてしまうように思いこむ

のが原因のような気がしております。

ですが、生きるため、生き残ることのみを考えれば、

  • そのように見えてしまう、
  • または見えてしまうように思いこむ

ことは一切関係がなく、食べ物があれば生き残れるのです。

そして、絶望で食べれなくなることもありますが、食べ物があれば生き残れるのです。

食べ物がなければ死にますが、絶望では死なないのです。

食べれなくなれば死にますが、通常は空腹時、マックスになると条件反射的に人は食べ物を求めますし、生きるようにできてます。

なので、新型コロナの影響で10月の自殺者は増加していますが、確かに経済的には厳しい状況へ追いこまれております。

ですが、日本では生活保護制度もありますし、さまざまなセーフティーネットは用意されております。

ある意味、非常に恵まれた国であるので、その国の恩恵を受けてはいけない場の空気が自殺へ向かわせていると感じました。

もしかしたら人間関係をリセットしたり、人間関係を捨てることができれば自殺する必要はないのかもしれません。