みんなツラいのに子どもはかわいそう!と報道するマスコミ


新型コロナウィルスの影響で自殺者が増えつづけている話はこちらでしました。


それもこれもコロナ不況のせいなのです。

その後、

女性の自殺者も増えつづけ、

子どもの自殺者も増えつづけ、

社会的弱者が自殺しているということは

社会の方に問題があると考えるのが自然な考え方です。

テレビでは子どもの自殺者を報じ、

  • 子どもの話に耳を傾けましょう!

とアナウンスしているのですが、

仕事も失って、

お金も失ってしまえば、

聞く耳すら維持できるのか?

わかったものではありません。


テレビがこのようなむちゃぶりをするので、

あまりまともに取り合わない方が、

自分を守るためにも

有益なことであったりします。

  • テレビのみなさん、

  • 子どもにSOSを聞かないで、

  • 親にSOSを聞いた方が

  • いい解決策が浮かぶ

と思いますよ。


子どもより親の方が弱い?!親より子どもの方が強い?!


かの太宰治は桜桃忌の中で、

高価な桜桃(サクランボ)を

まずそうに食べながら、

  • 『子どもより親が大事、と思いたい』

と口にしたことは有名です。

子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。少くとも、私の家庭においては、そうである。まさか、自分が老人になってから、子供に助けられ、世話になろうなどという図々しいむしのよい下心は、まったく持ち合わせてはいないけれども、この親は、その家庭において、常に子供たちのご機嫌きげんばかり伺っている。子供、といっても、私のところの子供たちは、皆まだひどく幼い。長女は七歳、長男は四歳、次女は一歳である。

桜桃 (280円文庫)
太宰治
角川春樹事務所
2011-04-15


ある程度の年をとったり、人生経験をつめばこの言葉の真意が驚くほど理解できたりします。

太宰治は津軽の生まれで、

田舎者の特性上、

あまりYESとNOをはっきり言える人ではありませんでした。


しかし、そのことからまわりをとりもつ才能や、

空気を読む天才で、

太宰治のまわりには、

いつもたくさんの取り巻きがいました。

ですが、当の太宰は、

あまり人なかが好きではなく、

いつも人に合わせて道化ていて、

本当の自分をさらけ出さなかったことで有名です。

そういう人はモテますが、

一方では自分に対して不誠実なので、

薬物に溺れたり、

あるとき急にいなくなったりします。

これが根本命題で、

自分にとって都合のいい人が、

  • 本心を隠した状態で付き合って欲しいのか?

はたまた、

自分にとっては都合は悪いが、

  • 本心をさらけ出して付き合って欲しいのか?

はなはだ難しい問題であったりします。

太宰治とは対象的な人物が三島由紀夫ですが、

彼は腹を割ったような性格なのですが、

自分の信念に身を投じて、

家族まで投げ出したりしてしまいます。

とくに男性の問題だと思うのですが、

本心で生きるべきなのか?

配慮をして生きるべきなのか?

おのおの問題は出てくるものと思われます。

自分でできるか?どうか?当事者意識で考えてみる


そして、こと新型コロナのコロナ不況の今、

仕事もなくなり、

お金も失えば、

正直、どうしようもない環境に置かれてしまいます。

それは個人ではどうしようもない問題なので、

単純に、

かわいそう!や、

子どもの話に耳を傾けよう

では済まない問題であると思います。

そして、それははなはだ無責任なのですが、

仕事を失って、

お金も失えば、

当然、子どもを育てる余裕もなくなってくるので、

  • 虐待や、

  • 八つ当たり

も増えると考えるのが自然な考え方である気がしています。

それは、

  • けしからん!

というお気持ちもわかりますが、

仕事を失って、

お金も失えば、

できないこと、


できる

ことがあります。

そして、それは、

できないこと、

は早めにできないと言い、

できることは、

できることでやりつづけるしかないような気がするのです。

逆に、それは、

  • かわいそう!

と言う人や

  • 無責任!

と言う人に対しては、

だったら、

  • あなたが育ててください

と言えばご納得いかれるでしょうか?

逆に、その子に対して金銭的な支援でもかまいませんし、

  • 居住的
  • 衣食的

な支援でもかまいません。

子育てはやはり思いばかりではなく、

  • 経済的な支援や
  • 物質的な支援は

かかせません。

そのおおもととなる、

  • 経済的な困窮や
  • 物質的な困窮は、

子どもを疲弊させる一方、

親も疲弊させていることに、

そろそろ目を向けて、

真剣に考え、

救済策を編み出すべきときに来ていると考えています。

太宰治は子どもをめぐって夫婦喧嘩した際に、

家に居づらくなって、

他の女の家にお酒を飲みに出かけました。

その先で食べたのが、

高価な桜桃(サクランボ)でありました。

飲みたくもない酒を飲み、

食べたくもない高価な桜桃(サクランボ)を食べたのです。

ちなみにこの子育てをめぐってもめたのは、

四歳の長男で

障害を抱えていたとされています。


私は家庭に在あっては、いつも冗談を言っている。それこそ「心には悩みわずらう」事の多いゆえに、「おもてには快楽」をよそわざるを得ない、とでも言おうか。いや、家庭に在る時ばかりでなく、私は人に接する時でも、心がどんなにつらくても、からだがどんなに苦しくても、ほとんど必死で、楽しい雰囲気を創る事に努力する。そうして、客とわかれた後、私は疲労によろめき、お金の事、道徳の事、自殺の事を考える。いや、それは人に接する場合だけではない。小説を書く時も、それと同じである。

桜桃 (280円文庫)
太宰治
角川春樹事務所
2011-04-15