正義

変えたい気持ちと変わることの難しさの問題


新型コロナの影響で社会不安が増してきました。


それはコロナ不景気の影響であったり、思うようにいかなくなった人たちがすさんできて、投げやりになったりするからであります。


そういうときは、社会を変えたい政治家や世の中をよくしたいと願う人たちがあらわれるのですが、

  • よーく考えてください。

  • 今があるのは、今まで通りだったからなのです。

社会不安が増してくると人びとは希望を欲するので、逆に言えば耳ざわりのいい言葉を選んだ人が支持される結果が多くなります。

つまり、

  • 今があるのは今まで通りの結果

なので、本来であれば、社会を変えたり、よくしたければ真逆のことをやらなければなりません。

  • 今があるのは今まで通りの結果なので、
  • 今までとは真逆のことをやるのです。

ですが、そういったことは受け入れがたく、なによりも

  • 今があるのは今まで通りの結果

なので、逆に言えば、

  • 今まで通りにやっていたら
  • 何も変わっていかない

ということに気がついていないのです。


そうあってほしいと願う気持ちと現実との乖離


なので、耳ざわりのいい言葉が支持されますし、耳ざわりのいい言葉ほど盛り上がるのです。

ですが、事実は盛り上がりとは別に、盛り上がったところで何一つ変わらない結果となります。

それほど社会を変えたり、世の中をよくしていくことは難しいワケなのです。

かつて織田信長は比叡山の延暦寺を焼き討ちにしました。


当時の延暦寺の僧侶たちの多くは肉食や女犯をしており、金銭の貯蓄に励むなど、堕落しきっていたという。

それと言うのも比叡山延暦寺の一向一揆衆に悩まされたからです。

織田信長は戦国武将で比叡山延暦寺の一向一揆衆は僧侶と農民だったのですが、織田信長が焼き討ちにするぐらい手ごわかったことで有名です。

明智光秀や羽柴秀吉、柴田勝家なんかも制圧に加わりましたが、戦国武将のお城よりも手ごわい相手だったのです。

数百年ものあいだ、比叡山は王城鎮護の霊場として貴賤から絶大な信仰を集めていた。このため、信長の重臣たちの中には仏罰を恐れ、焼き打ちをためらう者もあり、なかには「悪僧は仕方ありませんが、高僧は助命したらどうでしょう」と進言する者もあった。

当時は足利政権でその後の織田政権へ移るのですが、足利政権を支持するこの比叡山延暦寺の一向一揆衆が戦国武将よりも強大な軍事力を持っていたのです。

お寺を焼き討ちにしたり、僧侶に手を出すのは当時の武将としてもご法度だったのですが、いかに社会を変えることが難しいか?の事例として参考になるものと思います。

一国一城の主ではなく、この比叡山延暦寺に展開する僧侶と農民の方が強かったワケなのです。

各地で一向一揆が展開され、それぞれその地の大名になついて軍事行為を繰り返していました。

なので、社会が変わるときや世の中をよくしていくときは、たえず現体制と新体制の間にへだたりがあって、どちらかと言えば真逆の方向に展開してゆく流れになります。

既得権益がやぶれ、新しい権益が生まれてゆく過程だからです。

信長は、坂本の老若男女を含め、高僧も悪僧も関係なく、ことごとくその首を斬って殺害したのである。戦後、坂本を含め比叡山一帯は、明智光秀が領することとなり、比叡山の所領はすべて没収され、信長の生きているうちは決して再興は許されなかった。こうして王城鎮護の地は、完全に地上から消滅したのである。

それには相当のストレスがかかり、当時の僧侶も肉食や女犯を犯して貯蓄に励んだように堕落してしまうものなのです。

そうあって欲しい願いはそうあって欲しいように思いこむ


こういったことを考えるとき、社会を変えたいと言う人や社会をよくしたいと願う人の話を聞くとき、もし既得権益側によっていれば社会を変えることはできません。

それは耳ざわりのいい言葉だからです。

どちらかと言えば、聞いていて不快になることであったり、よくよく考えないとなかなか理解できない話の方が正しい場合が多いのてす。

正常性バイアスという認知の構造上、人間はどうしても自分の都合のいいように思い込む傾向があります。

小学生のとき、テレビでアイドルを見て、

  • おならをしたり、
  • うんちをしない、

と思いこんでいたのも正常性バイアスです。多分…。

それは神格化しすぎて、

  • そうあって欲しいと願う願望

だからです。

ですが、実際には、

  • おならをしたり、
  • うんちをします、

よね?


だって、人間だもの…。