文壇の大御所へ『刺す』と吠えた太宰と報告や連絡、相談をおこたらなかった三島由紀夫
太宰治が当時、文壇の大御所 川端康成へ宛てた書簡の中で、
- 『刺す』
としたためた話は有名です。
川端康成へ太宰治あなたは文藝春秋九月号に私への悪口を書いて居られる。「前略。――なるほど、道化の華の方が作者の生活や文学観を一杯に盛っているが、私見によれば、作者目下の生活に厭いやな雲ありて、才能の素直に発せざる憾うらみあった。」おたがいに下手な嘘はつかないことにしよう。私はあなたの文章を本屋の店頭で読み、たいへん不愉快であった。これでみると、まるであなたひとりで芥川賞をきめたように思われます。中略八月の末、文藝春秋を本屋の店頭で読んだところが、あなたの文章があった。「作者目下の生活に厭な雲ありて、云々。」事実、私は憤怒に燃えた。幾夜も寝苦しい思いをした。小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。そうも思った。大悪党だと思った。
賞金目当てで応募した芥川賞で落選してしまったため、
- お金も
- 名誉も、
得られなかったことによる憤りと憤怒でした。
一方で、三島由紀夫はその処女作『花ざかりの森』を寄贈して以降、
川端康成と往復書簡を交わし、
- その師弟愛
は三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決する直前まで続けられました。
かたや大御所へ、
- 『刺す』
と批判的な書簡を送る太宰と、
かたや大御所へ
- 常日頃から報告や連絡、相談を怠らなかった三島由紀夫
この二人の違いを、
業界の大御所や職場の先輩との接し方やマナーについて、
賞の選考委員に直接批判をすればその賞は一生もらえるハズがない
第一回芥川賞の受賞は太宰治にとっては、
- 賞金目当て
もありますが、
太宰自身、
ので、
- 芥川龍之介を非常に尊敬していた
ので、
- 是が非でも欲しい文学賞のひとつ
であったと思います。
太宰にしてみれば、
芥川龍之介のことが好きすぎて、
なんども、
- 芥川龍之介
とノートに名前を書いたほど、
芥川龍之介のことが大好きだった
らしいです。
その好きゆえに、
自身も応募し、
応募したら必ずや、
文学賞を受賞し、
- 賞金と名誉
を手に入れられるとのぞんだ文学賞だったので、
人知れず思いが強かった
のだと思います。
ですが、みなさまもご存知のように、
第一回芥川賞受賞作は、
- 石川達三の『蒼氓』
で、
太宰の候補作『逆行』
と読み比べてみるとわかりますが、
むしろ、『逆行』の方が
- おもしろい
ということがご理解いただけると思います。
そう、川端康成 先生は、
- 作者の生活の不安
とおっしゃったように、
作品的には太宰の『逆行』の方が
- おもしろい
のですが、
- 作者の人格的な問題
により、
- 受賞が見送られた
ので、
- 『刺す』
としたためたのでした。
おそらく太宰本人も、
- 石川達三の『蒼氓』
を読んでみて、
- 自身の『逆行』と比べてみて、
納得できなかったからこそ、
- 『刺す』
としたためたのだと思います。
この一件が響いたせいか?
太宰は終生、
芥川賞を受賞することはありませんでした。
報告や連絡、相談をおこたらなくても才能がある人物はねたまれる
一方の三島由紀夫は処女作『花ざかりの森』寄贈以降、
川端康成と往復書簡を重ね、
親交を深めておりましたが、終生、
川端康成と往復書簡を重ね、
親交を深めておりましたが、終生、
芥川賞を受賞することはありませんでした。
三島由紀夫の場合、
ノーベル文学賞にまでノミネートされた
のですが、
実際に受賞したのは、
- 川端康成
の方だったからです。
この受賞をめぐっても、つい最近の資料では、
川端康成の方から三島由紀夫に向かって
川端康成の方から三島由紀夫に向かって
- 『君はまだ若いから、私は年だから、今回は譲ってくれないか』
と打診があったとか、
川端康成先生自身、ノーベル文学賞の受賞に際して、
- 「翻訳者のおかげ」、
- 「三島由紀夫君が若すぎるということのおかげです」
と口をすべらせているとおり、
なにかしら
- 業界の秩序やしきたりやルールや圧力
があったことは
- 想像にかたくない
本当はクソだった川端康成?!と当時の文壇?!
太宰こそ、書簡で直接、
- 『刺す』
としたためましたが、
三島由紀夫でさえ、この川端康成ノーベル文学賞受賞前後は、
“私は或(あ)る作家(川端康成)の作品を決して読まない。彼は円熟した立派な作品を書きつづけていることがわかりきっているからである。”
と皮肉まじりに突き放すように述べています。
なので、やはり、なにかしらの
- 業界の秩序やしきたりやルールや圧力
があったものだと推察されます。
その2年後に、三島由紀夫は自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自決し、
その2年後に川端康成は仕事場のマンションの一室でガス自殺をはかっております。
業界には業界の大御所がいて、
業界には
- 業界の秩序やしきたりやルールや圧力
が働いています。
- それを最初っから批判してしまうのか?
- 最初は親交を深め、様子をうかがってゆくか?
戦い方は人それぞれ
だと思います。
しかし、ただ一つ言えることは、
批判した先には、
- 居場所はない
という一点に尽きます。
なぜなら、
- 出世したり、
- 活躍したり、
- 稼いでゆく場所
が、もし
- その場所
だとしたら、
それは
- 批判した時点で、
- 居場所を失う
ことになるからです。
そして、
- 出世をしたり、
- 活躍したり、
- 稼いでゆく場所
が、もし、
- その場所
だとしたら、
それはみんな同じ環境で、
- 出世したり、
- 活躍したり、
- 稼いでゆく環境
になるので、
- その環境のまま上に昇りつめなければ、
- 変えることは不可能
それは業界や職場が、
- 大御所や先輩で構成されている
からで、
- 大御所や先輩との関係を良好に築けない場合、
- 出世することはおろか、
- 業界や職場を変えてゆく
ことも
- できない
からです。
思いは口に出した時点で負け 一度した発言は謝っても元に戻れない 思いを実現するための行動を…。
太宰治は2回目の芥川賞の際、
作家の佐藤春夫へ次の書簡を送っております。
私を助けて下さい。佐藤さん、私を忘れないで下さい。私を見殺しにしないで下さい。いまは、いのちをおまかせ申しあげます。恥かしいやら、わびしいやらで、死ぬる思ひでございますが、かうしてお手紙さしあげるのも、生きて行くための必要な努力なのだ、と自身に言ひきかせて、一心にこの手紙したためました。あきらめず、なまけず、俗なことにもまめまめしく、甲斐甲斐しく眞面目につとめるのは、決して恥づべきことでなく、むしろ美しいことでさへあると信じましたものですから。私は、今は、私にゆるされた範囲でなすべきことは、すべて、なしたつもりでございます。あとは、しづかに、天運にしたがひます。寒さのために手が凍え、悪筆、お目を汚した罪、何卒おゆるし下さいませ。太宰治佐藤春夫様
ですが終生、
芥川賞を受賞することはありませんでした。
一度口に出した思いは、
- 二度目に謝罪しても
- そう簡単に変わらない
ということをあらわしているように思います。
逆に言えば、三島由紀夫のように、
どんなに頭にキテも
はっきりとした言明は避け、
思いをかたちにする
行動起こす
ということの方が正解なのかもしれません。
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