2021-09-29 筒井順慶

不景気なご時世にあえてセンシンティブな問題に触れない政治家の態度


子どもの自殺が相次いでいるのに、自民党総裁選がにぎやかです。


  • 子どもの貧困や、
  • いじめや差別をなくしましょう!

といった問題も、

  • やめましょう!

と口にすれば解決できるものだ

と思っているからなのであります。


対策は文字通り対策で、

  • やめましょう!

と言って抑止するのではなく、

  • やらない環境を作ること

であると最近思いいたるようになりました。

そこで本日は、日本人に多い、

何事も

  • 和をもって尊しとなす

誰からもよく見られる敵を作らない態度の代表例、

  • 戦国時代の筒井順慶に学ぶ、
  • 洞ヶ峠の決め込み方

について考察をくわえてまいりたいと思います。

日本では何事も有利になった方が勝ち その前の前哨戦は意味がない


  • 洞ヶ峠を決め込む

ということわざは聞いたことがあると思います。

その語源は、戦国時代の筒井順慶によるものです。

最近では『麒麟がくる』で有名になりましたが、

あの明智光秀の援軍を断ったのが洞ヶ峠だったからです。

本能寺で信長を討った光秀は、

かねてより家臣であったこの筒井順慶に協力を要請しました。

  • 光秀について一緒に戦って欲しかったからです。

ところが筒井順慶は豊臣秀吉とも通じていて、

  • 秀吉側について一緒に戦って欲しいとも要請を受けます。

いざ、山崎の合戦というとき、

筒井順慶はこの洞ヶ峠で戦局を見守り、

最終的に有利な秀吉軍の味方についた話は有名です。

つまり、光秀にとっては裏切り者なのですが、

光秀は山崎の合戦で敗北したので怒られません。

一方の秀吉からは、

  • 援軍が遅い!

と怒られるだけで済んだのです。

このように

  • どちらからも協力を要請されたり、
  • どちらに転ぶかわからない場合、

少し時間をとって、

  • 有利な方へ味方をするのが、

日本人の古来からの精神構造であるように思います。


そうすれば、

  • 不利な方とは縁を切れますし、
  • 有利な方とは縁をとりもてる

からです。

さまざまな可能性をすべて残しておく いい人の特徴


筒井順慶自身が信長に降参した際に仲介してくれたのが明智光秀でした。

ともすれば

  • 筒井順慶にしてみれば命の恩人なのですが、
  • だからと言って命をかけてまで戦えるか?

と言ったら状況によるのだと思います。

この筒井順慶という武将はさまざまなことわざの語源になっていて、

  • 元の木阿弥

ということわざも筒井順慶が語源です。

お父さんの筒井順昭が早くに亡くなり、2歳で家督を継ぐハメになったので、

  • 木阿弥という影武者を立てて、

その間、敵の侵略から守って贅沢な暮らしを満喫できました。

  • お父さんが亡くなって、
  • 2歳が家督を継いだとなれば、
  • たちまちにして侵略されてしまうからです。

このように筒井順慶という武将はかなり狡猾な武将であるように思います。

筒井順慶(新潮文庫)
筒井康隆
新潮社
2013-07-05


まさに戦国時代らしいのですが、

戦国時代も暮し向きは厳しいので、

現代に共通するたくましい生き方であるように思います。

ちなみにブラック企業でも、

どちらについた方が有利かわからない場合、

  • どちらについてもいいように、
  • みんなをよく言います。

それは自民党の総裁選でも一緒で、

  • 誰かを悪く言ったり、
  • 叩いたりすれば、

万が一、その人が当選した際、

  • 居場所がなくなってしまう

からです。

なので、頭のいい人はほど、

  • 誰のことも悪く言いません。

それは敵を作るからです。

敵を作らなければ状況により、

  • 有利な方へつくことができ、
  • 何事もなかったか?

のように振る舞えるからです。

我々の業界では、

ビットコインの価格予想をするとき、

  • ここから大きく動く

と断言します。

そしたら、

  • 大きく上がったときも、
  • 大きく下がったときも

見放されることが少なくなるからです。