鼻で笑う港区女子の生態


鼻で笑われた経験をお持ちのみなさん、こんにちは。

本日は港区女子が、いや、違った、人間が鼻で笑う理由の話です。

ソクラテスという哲学者は、

  • 愛とは何か?
  • 美とは何か?

といった様々な概念を問答によって突きつめて考えていった哲学者として有名です。

ソクラテス自身は遊び人と言いますか、この問答をすることによって生きていた古代の哲学者で、ソクラテスの問答はプラトンによってまとめられ、プラトン哲学となった話は有名です。


このソクラテスの笑いに対する考察があり、それはのちにニーチェによって嫉妬(ルサンチマン)という形で哲学用語となります。


んで、この嫉妬(ルサンチマン)が笑いの原因となっていて、なかでも港区女子のマウント合戦にみる鼻で笑う行為はこの嫉妬の感情によるものであろうという考察を加えてみたいと思います。

ソクラテスが考察する笑いの作用


笑うという行為はどうも人間だけの行動のようで、それはソクラテス的には魂の苦の感情を快の感情へ変換するものとして考察されます。

「したがって,われわれが友人の滑稽な点を笑うのは,他方からみれば,嫉妬の情に快感を混入しているわけで,つまりはその快を苦に混合していることになるというのが,以上の議論の主張だということになる。なぜなら,われわれがさきほど同意したところでは,嫉妬はたましいの苦痛であり,笑うことは快なのであるが,この二つがこの時には同時に起っているからだとするのである。」

つまり、薄々気がついておりましたが、笑うというのは人を小バカにしたり、バカにされたなんて思いますが、実際はその笑った当人が笑いを向けた人に対して何らかの嫉妬(ルサンチマン)や苦の感情を持っていて、それを笑いによって快の感情へ変換している行為だということがソクラテスの時代から論理的に解明されていたのです。

たとえば体であれば痛みをともない、痛みを癒すために冷やしたりします。

その魂と言いますか、精神と言いますか、心理的な痛みを癒すために鼻で笑います。
あっ、違った、鼻じゃなくてもいいや、笑うのです。

つまり、何か分からないことがあったり、不安なことがあったり、自分の頭や精神的なところで動揺が起こり、苦の状態となると、それを快の状態へ戻す作用として笑いという作用があるようなのです。

苦しいから笑って楽しくする


一般におもしろいことを言って笑うのも、矛盾であったり、滑稽なことであったりします。

それで笑うのはその矛盾が苦であったり、その滑稽が苦であるからで、笑いによって快へと変換しているからなのです。

笑いが健康にいいと言うのもこのことで、つまり、体の痛みは冷やしたりして痛みを癒しますが、笑いは魂や精神や心理の苦痛を快へと変換する作用だからです。

なので、港区女子のマウント合戦のように人を小バカにして笑う行為はあまり褒められたことではないにせよ、一般に笑うという行為は何か不安や迷いやこの心理的な苦痛を紛らわすために行なう行為であるということがご納得いただけたかと思います。


その理由が論理的に分かれば小バカにされたと怒らなくていいですし、なるほど、彼女らは心に痛みを抱えていて、それを鼻で笑うことによって心の苦痛を吐き出しているのだと解釈することが可能となるのです。

あまり人間のことを観察することは失礼に当たる行為なので推奨はしませんが、笑うという行為にはそういった作用があるということを理解しつつ、鼻で笑う人びとを観察する方法もあります。

んで、こういった問題の怖い点は、依存症と一緒で快を求めつづける行為を行なってしまうという点なのです。

薬物であれば薬物を快とみなして依存しますし、ゲームであればゲームを快とみなして依存してしまうのです。

女の笑い (2)

んで、おおむねイカれた人の特徴でよくバカ笑いする人もいますが、それはスゲー苦痛をスゲー快なハイの状態に変換しているからなのです。

こうして、人間は快を求めて笑いつづけるので、ある意味、笑いつづければ苦痛の状態ではなく、たえず快の状態なワケで健康なのです。

小バカにされたと思い笑い返すのも手ですし、苦痛を取りのぞく行為であると冷静に観察するのも手ですが、やはり最後はみんなでバカ笑いした方がよかったりします。

以上、マウント合戦の港区女子が鼻で笑う理由の話でした。