2022-09-09 小林多喜二10

あるとき突然やってくる不条理な問題


新型コロナウィルスも一種の不条理で、突然世界中に蔓延し、たくさんの人がかかり、たくさんの人が命を落としたりしています。


その影響でカミュの『ペスト』に注目が集まっているみたいです。


同じ不条理を描いた作品にカフカの『変身』もあります。


ペストはちょうど新型コロナウィルスのように、あるとき突然ペストに襲われ、その中で生きていく人間模様を描いています。

カフカの『変身』は朝起きたら巨大な褐色の毒虫になっていて、その不条理から生きていく主人公の物語です。

家族が亡くなるのもこの不条理に似ていて、あるとき突然襲われ、突然苦しめられたりします。

不条理を受け入れるのには時間がかかる


私の弟は22歳のとき、ガンで亡くなりました。

はじめは手のひらにイボみたいな腫瘍ができていたのですが、それがガンで全身に転移して亡くなりました。

これは言うまでもなく不条理なのですが、家族であれば悩みますし、家族であれば苦しめられると思います。

ですが、最終的にはこの不条理にも悩んでばかりはいられませんし、苦しんでばかりもいられないという事実に気がつきます。

カフカの『変身』で朝起きて巨大な褐色の毒虫になっていたように、不条理は突然やってきて、

  • 『なんで?』

と言っても始まらない物語が始まります。

ましてや巨大な褐色の毒虫になったり、家族が亡くなったりといった事実は本来は受け止めづらいのですが、でも実際は起こってしまうことであったり、起こってしまった事実は事実として受け止めなければならないという問題であります。

  • 『なんで?』

と言った疑問や、

  • 『なんで? 私だけ?』

と言う同情も、この不条理の前では無力であって、我々残された者もそうですし、人生や私たちの毎日の生活はそれとは別に、淡々と続いていくという事実を物語っています。

たとえば悲しみに暮れてみたとしても、我々の人生は止まっているワケではなくすすんでいるのです。

『なんで?』という疑問をいくらして発してみたところで答えにたどりつけなかったり、気持ちの整理がつかなかったりすることもありますが、我々の人生は止まっているワケではなくすすんでいるのです。

思いとどまるのは極めて自然な心理


亡くなったときに火葬をするのも、仏教的な意味合いで、死者への執着を断つ意味合いがあったりします。

それはいつまでも肉体があると、いつまでも考えてしまったり、忘れることができないからです。

厳密に言えば、忘れる必要はないのですが、執着があって前にすすめないようであれば困るからです。

人生は物語であるので、家族や家族の死や家族との別れも物語であったりします。

それはあまり忘れるものではなく、そのような人生で、そのような物語であるという事実です。

んで、その人をその人たらしめる要素であったりします。

あまり親だから子どものことが分かるとか、子だから親のことが分かるというよりは、たまたま一緒で一緒の物語の中で生きているというのが最近の考え方です。

なので、その一人が亡くなったり、欠けたりといった事実は非常に不条理ですし、痛みや苦しみをともなったりします。

不条理に原因や理由はない


ですが、確実に言えることは不条理は突然やってきて、突然襲われます。

そして、

  • 『なんで?』 とか
  • 『私だけ?』

と言う問いにかかわらずに問答無用で襲われます。

そして、襲われたものは何一つ回復されず、何一つ元に戻ることはない不可逆的な事実であったりします。

なので、私も昔は、

  • 『なんで?』とか、
  • 『私だけ?』

なんて思うこともあったりしましたが、家族の死であったり不条理な問題は考えたところで原因や理由がないし、事実を受け入れるしかない問題に気がつくことになります。

テレビやドラマのように答えがあるワケでもなく、学校のようになんで?と疑問を言ったところで解決してくれる先生もいないのです。

あとはご自身でやっていくしかないし、疑問や悲しみがあったとしても、それに暮れていたところで人生はすすんでいるという残酷な現実であったりします。

ただ、

  • 『なんで?』 とか、
  • 『私だけ?』

って思ってしまったり、

  • 『あのときこうしていればよかった』

とか後悔が浮かんでしまうのは事実であったりします。

そうならないように常日頃、最善な選択をし、最善な判断をして、一つ一つ後悔のないように、より大切に生きていくしかそれを防ぐ方法はないのです。