他人の目が強制的に子どもを大人という型にハメる


日本においては型にハマった考えの人が多いので、ある程度の年齢になったら大人になって、結婚したり子どもをもうけたりしています。

ですが、海外の方では大人になった人がそういう選択をしたり、大人になれずに子どものままの人はそういう選択をしないといったかなり自由な選択が可能であるということを、日本の人たちはあまりご存じないような気がしています。

日本においてはどちらかと言うと他人の目を気にしてしまい、他人が求める人を演じたり、他人が喜ぶようなことを選択してしまいます。

その辺が太宰治のような演技性の人格を作っていますし、太宰自身も薬物に溺れた原因のような気がしています。


なぜ子どものままでもいいのか?


なぜ大人になっても子どものままでいいのか?という問いも当然、予想されますが、大人になっても発達障害でアダルトチルドレンであるならば、それは実質的には子どもなので、大人ではないという仕組みです。

体が大人になったから結婚をして出産しなければならないワケではなく、体が大人になっても中身が子どもであればそれは子どもだという仕組みです。

ちょうどトランスジェンダーが体は男なのに中身が女であるように、海外の方ではこの中身でとらえる傾向が強いのです。

このトランスジェンダーを巡る議論でも、日本人は型にハマった考え方なので子どもが生まれなくなるって騒ぎになるのですが、海外の方では子どもを産みたい人が産むという発想です。

日本はどちらかと言うと形を先に考え、それに合わせて生きていく傾向があるのですが、生きているのは今の時代の当人なのです。

なので、当人が産みたくないのに産むって発想はおかしくて、なおかつかなり危険な発想なのです。

逆に言えば、恋愛なんかも人間が人間を好きになれば素晴らしいという話であって、それが男とか女とかの形がないらしいのです。

んで、それが女であれば子どもを産めばいいし、男同士であれば産めませんが、子どもを欲しかったりすれば別の方法を考えて、それぞれ模索したりしています。

どちらかというと、今生きている人の心のままの素直な願望なり、生き方を模索していった方がよく、昔から続いてきた型だけを引き継ぐ発想は少しおかしな意見になってしまいます。

勉強をし過ぎると型を重視する形式美に陥る


そして、何についてもそうなのですが、単純に昔からやってきたものが正しいワケではなくて、正しいのであればそれを論理的に説明する必要があると言うことだったりしています。

なので、年齢で区切ってここからが大人でその前まで子どもという発想も正直、論拠がないのでかなりあやしい基準だったりしています。

発達障害とかアダルトチルドレンという病名は素直に信じるのに、大人になれないで子どものままでいることを受け入れられなかったりする謎はなんなのか?よく分からなかったりします。

ですが、一番の基準は自分で責任が負えるか?どうか?であって、ホント、他人の目を気にして、他人がそう言ってたから…とか、親がそう言ってたから…で決断してしまうことです。


それ自体が子どもの発想なのに、結婚して子どもを産むのはかなり滑稽な行動に見えてしまいます。

以上、大人にならなくて子どものままでも別にいいと言う発想の話でした。