またKaroushi(過労死) 何も勉強しない国民性


三菱自動車の社員が月139時間の残業がきっかけとなり、精神疾患をわずらい過労自殺へ追いやられました。


日本ではこのKaroushi(過労死)が有名でなかなか無くならないのですが、海外の人はかなり不思議なまなざしで眺めていたりします。

それは労働観の違いでもあり、海外の人から見たら労働はお金を得るための手段に過ぎないからです。

なので、疲れたら休めばいいし、お金に困っていなければ働かなくていいと考えるワケなのです。

滅私奉公で会社のために尽くす日本人は、さながら神風特攻隊のような精神なので、きわめて危険な人種になりつつあります。

月139時間の残業は1日平均6時間以上の残業


月139時間の残業について当事者意識で考えると、

  • 週休2日と仮定すれば
  • 月の総労働日数は約22日
です。

  • 139時間÷22日=6.3時間

1日平均6時間の残業をしていたことになります。

これだけだとまだ当事者意識が湧きづらいので、

  • 1日の労働時間が8時間であれば、

  • 8時から17時までが定時です。

そのあとに6時間の残業が追加されるので、

  • 毎日23時まで働いていたことになります。

つまり、この三菱自の社員は、

  • 朝8時に労働を開始したとして、出勤を含めればもっと早くにウチを出ているのですが、
  • 帰りは23時に退社となるので、これも退社してウチに戻るまでを含めればもっとかかります。

常識的な感じで推測すると、

  • 朝7時にはウチを出て、帰宅が0時頃

だと思います。

そこからご飯を食べたり、お風呂をしたりすれば、

  • 寝るのは1時、
  • 起きるのはおそらく6時といった生活習慣が想像できます。

通勤に時間がかかっていればもっとですし、ウチに帰ってからもやることがあればもっと短くなります。

自由な時間もないですし、睡眠時間も足りない状態なので、過労死認定は必定です。

問題の根深さは周囲の人間が声を上げない(Mushi 無視)こと


この問題も奥さんが気がついて声が上がりましたが、一番の問題は上司や部下や奥さんでさえも死ぬまでこの問題を解決できなかった点です。

日本人は論理的に考えられない人が多いので厳しめな問題提起となりますが、長時間労働による過労死は電通なんかの高橋まつりさんの件でも明らかになりました。


そして、問題として何度も提起されているのに、また繰り返されたり、上司や部下や奥さんでさえも亡くなるまでこの問題を放置した点にあります。

  • 勘違いを防ぐために、ひどいと言う声であったり、長時間残業をしているという申し出は何も問題を解決しないと言う意味です。

  • 問題を解決するという意味は、声や申し出うんぬんではなくて、この長時間労働が続いているという環境を見たり聞いたりしながら、何も効果的に防ぐことができなかったという結果の問題です。

日本人は言い逃れが得意なので、問題をはぐらかす傾向があるのですが、初めの問題が長時間労働で過労死であったとすると、それを見たり聞いたりしているのに、いざ、自分が見たり聞いたりした場合、何も解決ができないという現実を物語っているのです。

  • いろんなことを見たり聞いたりして学習するのは勝手なのですが、実際に自分の身に起こった問題に、それを活用して問題を解決することができないと、学習していないのと一緒なのです。
ちょうど、糖尿病の先生が太っていて、運動をススメるのに似ています。

そういう現状であれば、結局のところいつまで経っても長時間労働による過労死は防げませんし、今回のように弁護士なんかが認定して、労災認定されるのが関の山だったりします。

問題を先送りする国民性 学習をしないといつまで経っても愚か


いじめの問題にも共通するのですが、昔からいじめ問題が起こっていて、何一つ解決していない場合、やはり思考停止の判断停止で学習のしない国民と言うことになります。

たとえばなのですが、いじめ問題があったとしてそれをなくそうとして、いじめの被害にあった人を守ったりする対策が問題を解決するのです。

ですが、実際はいじめも減りませんし、毎年のようにこういう問題が起こっていたり、ときには亡くなる人も出たりしています。

んで、この問題を先送りしてなかったことにするのもかまわないのですが、問題としてある限りは、または解決されていない場合は、その後も続いているという認識でないと問題を正しく把握することすらままなりません。

極端な話、学校でいじめがなくなったとしても、問題が解決されてないワケなのですから、学校を卒業したからと言っていじめがなくなるワケではないのです。

いじめる側といしめられる側がいて、いじめがよくないという問題解決ではなく、問題は先送られたり、はぐらかされたりしているので、バレなければいじめはしてもいいというある種の解答を与えている点なのです。

この盲点は気づきにくいと思うのですが、少なくともいじめの当事者なんかはそういう認識ではないのでしょうか?

たとえばいじめをした側がペナルティーを与えられ、リスクを負う社会ではいじめはなくなるでしょう。

ところが、いじめをした側が大してペナルティーを与えられず、リスクを負わなくていい場合、バレなければ何をやってもいいという社会になることに誰も気がついていなかったりします。

そうなると、息子の代や孫の代でもいじめは残ってますし、学校を卒業したとしても、けっこうな大人になったとしても、別にいじめることはペナルティーを与えられないし、リスクも負わなくていいのでやる人はやることになります。

こういうやらない前提が、Murahachibu(村八分)的なところで、人びとの善意をあてにしているのですが、その善意は何をあてにしているのか?よくわからなかったりします。

問題は解決しておいた方がいいというまっとうな正論


長時間労働や過労死もこれと同じ問題が潜んでいて、結局、誰も問題を解決していないので、やり続けられるという問題があります。

本人が言い出しづらい環境もそうですし、周りが気がつかない環境もそうですし、亡くなってからはじめて動き始める点も高橋まつりさんの事件と同様の動き方なのできわめて不気味です。

本来もそうなのですが、一番は奥さんであったり、会社の上司や部下であったりが、この長時間労働の現状を見た際に、それを回避する方法を取れなかった点が一番悲しい事態なのだと思います。

それって、奥さんも信用されてなかったことになるし、会社の上司や部下も信用されてなかったことにもなります。

そして、実際、声も上がってないし、止められなかったという現実があるので、これはある種の人災と言うことができるのです。

  • 問題があります。

  • それに対して、利害を異にする個人がいたりします。

  • ですが、その問題に対して、個人は何もできなかったワケで、問題は解決されてないワケだったりします。

通常であれば、その問題をひどいと思う個人が、何かしらの感じで救いの手を差し伸べるのが社会だと思うのですが、その点が日本が没落していく理由のような気もしています。

ウチの父親も働きすぎでうつ病をわずらったことがありましたが、会社の上司や部下が励ます会みたいなのを開いたりして立ち直った経緯があります。

もちろん、これが裏目に出る場合や逆に効果的なこともありますが、一番の問題は、何もアクションをしないという思考停止や判断停止にありがちな問題なのです。

ですが、アクションもノーアクションも一つ一つが選択と判断ですし、やらないということも一つの選択や判断だということに気がついている日本人は少ないような気がします。

以上、三菱自社員の月139時間残業による過労死を当事者意識をもって考える話でした。