白い目の刑


新型コロナウィルスの影響で日本の村社会のMurahachibu(村八分)文化があぶり出されてまいりました。

法律よりも、この人びとの善意によるところが特徴で、その本質は衆人監視装置といったところです。

近ごろでは自粛警察も出動し、異質な者を報告し合う活動に余念がなかったりしています。

その土着の文化は、むしろ法律よりも取り締まり能力にすぐれ、むしろこのみんなから白い目で見られることの方が何よりの刑罰のような気さえしてきます。

ですが、厳密にはそれは違法でもなんでもなく、むしろ自粛警察の方が違法である場合の方が多いのです。

日本という島国のせいか、このMurahachibu(村八分)の制裁に焦点を当てて、今回は罪悪感を考察してみたいと思います。

学校のMurahachibu(村八分)教育


人の善意により、善意にしたがっている以上、善意が前提となります。
ですが、この善意自体、定義づけがあやふやで個々人の判断に任せられてはおりますが、一種の空気のような感じで、ある一定の統一感は認められます。

どちらかと言うと、

学校の、

「い〜けないんだ〜いけないんだ〜、せ〜んせ〜に言ってやろ〜」

状態で、何か異質な物事や価値観に遭遇した際、先生のような誰か絶対的な基準にお伺いを立てるという手法です。

これはクラスの女子的なやり口で、ですがそれをやられたら誰しもお伺いを神妙に待つ文化に似ています。

しかし、これも確固とした善悪すらあやふやなので、それ自体恐怖ではないのですが、みんなに見られている衆人監視の状態が恐怖だと思われるのです。

勉強を重ねていくと、いかにこの状態が不毛で、かつあまり意味のないことが確認されると思います。

子どもの頃やまだ善悪の判断がつかない頃であれば、自分の行動の善悪がジャッジされる場合、衆人監視は重要になります。

ですがある程度、自分の中に善悪の基準や人生経験なんかが混じってくると、あまり衆人監視を待つ必要なく、ご自身で判断できる状態となると思います。

善悪がよく分からない村人


ですが、多分、日本社会はこのあまり善悪を判断できる人がいなくて、衆人監視によってジャッジを仰ごうとする人びとが多いのだと思います。

ですが、マスコミもそうですし、自粛警察のそれもなのですが、ある程度、善悪の判断できる人から見れば何をそんなに騒いでいるのだ?状態となることに気づく人は少ないのだと思いました。

民主主義の政治も多数決ですし、何か物事を決める際は多数決なのですが、個々人の発言や行動は自由なので、そのことと多数決は分けて考える必要があります。

なので、何か一定の物事を決める場合、多数派と少数派がいて多数派の方を優先しますが、個々人の発言や行動に対しては多数決は成り立たないのです。

もしそれが法律を犯していたのならば問題となりますが、法律を犯していないのであればそれはあなたの感想であり、その感想に対する多数決となったりします。

一番の原因はマスコミがこういう手法をとるのでみんなマネてしまう点です。

ですが、厳密には多数決をとったところでどうすることもできない現象であったりします。

罪悪感自体、悪いと思うだけの話


結局のところ、罪悪感自体も本来はどうこうできるものでもないワケです。
借りたお金は返さなければいけないですが、返せないものは返せません。

それに対して悪いと思いますが、思ったところでお金が用意できない場合は返せないのです。

それは借用書があれば法的手続きに基づいて請求できるのですが、やはりどんなに悪いと思ってもお金がなければ返せませんし、お金があれば返せるワケです。

お金を返せなくて憎いとなって殺してしまえばお金は戻ってきませんし、かと言って仕事がなければお金もないので返すことはできないのです。

世の中にはこのようにどうしようもないことがあるのですが、悪いと思ってもどうしようもないことがありますし、善いと思ってもどうしようもないことがあるのです。

結局は本人次第


なので、衆人監視のジャッジ云々にかかわらず、善悪自体、善であっても悪であっても結局のところは本人次第で、かつ、本人が悪いと反省したところでどうしようもないことがある場合もあると言うことです。
日本は学校社会と言いますか、圧倒的に人生経験も論理的思考も足りないので、こういうケースを想定できていないのだと思います。

んで、この悪いと思う点も悪いと思ったところで気にしなかったり、場合によっては他人の目さえ気にしない人もいれば大した効力も発揮しない点です。

日本においては日本で暮らし、日本で働くものとの前提なのだと思いますが、ぶっちゃけ、今だと日本でずっと暮らすことになる人自体少なくなると思いますし、ましてや日本で働く人も少なくなってくると思います。

昔の変わらない社会であれば会社もずっと同じままだし、世間もずっと同じままなので、衆人監視は重要な秩序だと思います。

ですが、今は会社がバンバン倒産し、住んでいる人も次から次に引越ししてしまう時代になりました。

なので、多分、昔ほどこのMurahachibu(村八分)的制裁の影響は少ないように思われます。

ですが、心の底で恐れていたり、法律よりも衆人監視の方が気になってしまう心理は、このような島国の世間が背景にございます。

おそらく気にしてしまう方々はどちらかと言うと多数派の人で、少数派に回ったことがない人なのだと思います。

しかし、会社や組織もどちらかと言うと物事を決めるのは上の上層部で少数派の人たちだったりします。

んで、会社や組織で物事を決めた経験がある人ならご存じかと思いますが、多数派の意見はあまり気にしません。

どちらかと言うと、その企画なり提案なり数字が正しいものか?どうか?そちらの方を気にして物事を進めます。

以上、Murahachibu(村八分)社会に見る罪悪感の話でした。

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