悪く言うけど気になる人
隣の芝生が青く見えてしまい、気になって気になって仕方がない人がいたりします。
ツイッターやインスタグラムと言ったSNSに顕著ですが、人のことを悪く罵りつつもつい気になって見に行ってしまう奇妙な人間が量産されている社会だったりします。
隣の芝生が青く見える病の原因
隣の芝生が青く見える原因は他人と比べる心理に基づいています。
他人より優位に立ったり、他人より劣位になったとき、人間はマウントを取ったり、自虐的になったりします。
ですが、どんなにそういうことをしても、それはあなたの人生には些かも影響を与えないという点です。
なので、極論として単なる時間のムダです。
たとえば美人が現れてブスが、
「美人は性格が悪い」
と発言する場面が、人生には往々にしてあります。
ですが、それはおそらくブス側がそう解釈したいのであり、美人側にしてみればそれは些かも影響を受けないという点です。
以前、発達障害でよかった話のところで述べましたが、あなたの頭の中でどのような解釈を試みたとしても、事実は事実で些かも影響を受けないので、あなたの解釈いかんによって変化が生じるということはございません。
それはおそらく、あなたの気持ちの問題なのです。
意地悪や嫌がらせの心理
『美人は性格が悪い』発言にも共通しますが、これらの認知の歪みや事実を歪曲に解釈する病気から他人への意地悪や嫌がらせに発展します。
んで、解釈も時間のムダなのですが、意地悪や嫌がらせも時間のムダで、結局、何一つ変化はないという点なのです。
意地悪や嫌がらせをすれば、あなたの気は晴れますが、それは多分、困ったところを目にするからで、それ自体もあなたの頭の中の話になってしまっています。
他人の芝生が青く見えたりしたところで、他人の芝生を黒く塗りつぶしたところで、結局、それはあなたの頭の中の認知が、言わば目の前に広がる世界がお好みのように変化して、それを見ているだけに過ぎません。
んで、究極のところ、あなた自体が変わらないとずっと隣の芝生が青く見続けることになりますし、黒く塗りつぶしたとしても、それすらもやがて青に戻ってしまうという身も蓋もない話だったりします。
んで、これは学校教育が偏差値なんかの相対評価だったので、いたし方のないことです。
相対評価の病(誰かと比べる病)
ですが、他人と比べたり、比較したりすることによって、もし苦しみが生まれているのだとしたら、それをやり続けるのは苦しみをさらに深くすることになるので、ご自身の問題と向き合われることをオススメいたします。
幸せもそうですし、評価もそうなのですが、相対評価であれば他人と比較して決定されます。
たとえば絵に描いた幸せがあって、それを基準にするとあなたは5番で、あなたは16番とかになってしまいます。
ですが、相対評価の反対で絶対評価があって、たとえば母親にとって息子は息子ですし、息子にとって父親は父親だったりします。
んで、それは変更できませんし、変えられませんし、唯一無二の存在だったりします。

以前、悪いことをして捕まった人がいて、その悪いことをした人はけっこう責められましたが、母親は責め立てず更生することを誓って批判された事件がありました。
これって、絶対評価であって、必ずしも良い悪いの世界ではないのです。
良いことと悪いことは重要です。
ですが、みんな良いことをするワケでもありませんし、みんな悪いことをするワケでもありません。
んで、良いことをしてお金が稼げるワケではないですし、逆に悪いことをして貧乏になるワケでもなかったりします。
なので、人間の生き方は人それぞれで、正義が勝つワケでもないし、悪が勝つワケでもありません。
んで、悪いことをしているからそれを止めることはできるかも知れませんが、最終的に悪いことを止めるのは本人の意思によります。
なので、正義だから正解でもないですし、悪だから不正解でもないワケです。
んで、美人だから正解でもないですし、ブスだから不正解でもないワケなのです。
んで、多くは心の奥底のコンプレックスから来ていて、多分なんですが、このコンプレックスを克服しない限りは隣の芝生はずっと青く見え続けることになるのだと思います。
ですが、先ほども申し上げました通り、黒く塗りつぶしたところで何も変わりませんし、些かも影響は受けません。
その多くは、あなたの頭の中の、心の奥底の認知の歪みによるものだと思います。
以上、隣の芝生が青く見える人の気持ちの切り替え方の話でした。
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