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正しいことを言うと反感を買う理由の話です。

不都合な真実なんて話もありますが、真実って意外に不都合な話だったりします。

人間の認知行動には正常性バイアスというのがあって、心のどこかで自分は大丈夫だという信仰に近い感情が働いているからです。

論理的な話もそうですし、人間って失敗を繰り返すので次に失敗しないように論理的に考えて対策を練るのですが、そのことを根本的に理解していない人たちにはこういう論理的な話をしてもムダだと最近気がつきました。

失敗の経験もそうですし、現実には失敗という信じられない現実を経験したりします。

んで、多分なんですが、論理的に考えられる人ってその失敗の経験を痛感していて、失敗は人を傷つけることを理解しているので、二度と傷つかないように論理的に考え、失敗しないように対策を練るのだと思います。

逆に言えば、論理的に考えられない人たちは失敗をそんなに経験していないか?失敗は人を傷つけないと思っているような気がしています。

失敗とか傷つく経験を二度と経験したくないので論理的に考え、対策を練るのですが、こういった失敗なり傷つく経験って、傷つくなりの理由があるワケなんです。

よれは多分、予想外のような、自分の意に反した経験のような気がします。
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なので、やっぱ論理的に考え、対策は練った方がいい話なのです。

ですが、この根本の原因に気づかなかったり、想像のできない人たちは、こういう論理的に練った対策を自分の考えを否定するものとして扱ったりします。

それは厳密には否定というよりは、そのような危惧があるという話で、やっぱ人の意見は聞いた方がいい話なのです。

んで、日本って議論ベタで、ディベートと言いますか?建設的に話し合うことを知らず、どちらかというと賛成派と反対派の二元論で対立したりします。

その対立自体はかまわないのですが、人にはさまざまな意見があるので、それを二元論で賛成の型にハメたり、反対の型にハメたりするので、正直、それじゃあ話し合いって言わないよって感じなのです。

もちろん、賛成と反対があるのは分かりますが、さまざま意見って先ほどの危惧みたいな感じで、どちらかと言うとそう思うっていう意見だったりします。

なので、賛成や反対とは分けて考える必要もありますし、並べて考える必要もあります。

ですが、人の話をよく聞かないと単純にそれは賛成やこれは反対といった仕分けみたいな感じになります。
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物事を決めるのを急ぐ気持ちは分かるのですが、失敗したり傷ついたりするのが怖いともっと慎重に考えると思うのですが、それをしないのはやはり失敗した経験や傷ついた経験がないからだと思います。

んで、こういった論理的な合理性って、考えに考えるのでどちらかと言うと人間の感情的な部分からかけ離れてしまうからです。

いろんなことを細分化して細かく考えれば考えるほど、想像が困難になるため、感情的な部分とはどうしてもかけ離れてしまいます。

たとえばなんですが、橋を渡る際、いろんなことを考えますが、用心を重ねるとゆっくり歩いたり、橋の欄干に手をそっとついたりとか謎の行動になったりすると思います。

でもなんですが、その人なりには多分、用心を重ねた結果の意見であり、その一つ一つには意味があるみたいな感じです。
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知らないとイチイチ難しい事を言うヤツだってなりますが、それにはやっぱその人なりの用心や対策が反映したりしています。

普段の意見なんかも単純化すればこんな感じで、人それぞれに意味があったりするものです。

んでそういったものってさまざまの行動の積み重ねであったりするので正直把握はしづらいのですが、よく話を聞かないと、そういう想像もできなかったりします。

んで、人間的に実際は自分の話を聞いてくれる人をかわいがります。

それは奥さんだとしても部下だとしてもそうなります。

なので、イエスマンがかわいがられるのが人間的には真実なのです。
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ですが、こういったさまざまな意見がある際やさまざまな懸念がある際って、イエスマンばかりになれば正直、意見や懸念でさえも上がってこなくなります。

んで、あがって来たとしても周りをイエスマンでかためている人の周りにはイエスマンばかりが集まるので、結果、イエスに合わせる事態になったりしてます。

でもなんですが、必ずしもイエスの結果ではなく、ノーの意見もあるワケで、イエスだとしてもノー側の懸念とかも取り入れたりしないとノー側の懸念が実現する場合も考えられるワケです。

んで、民主主義の基本って、イエスかノーだとして、イエス側はイエス側の立場で考えますし、イエス側の立場で懸念を表明します。

ノー側の人は逆に、ノー側の立場で考えますし、ノー側の立場で懸念を表明するのです。

立場が違えば考え方も違いますし、懸念も違います。

なので、本来は反対側の懸念をねじ伏せるのではなく、取り入れた方がいいのです。
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ですが、けっこう昭和的発想の人って、人の意見をねじ伏せて勝ったつもりになってますが、でもそれは論破とは違うので、単にねじ伏せただけだ事実は違う通りに進んでいたりします。

本来であれば男女の問題の違いもこういうスタンスに立って話し合えば解決に向かうものと考えます。

意見が違うということはその人を否定するのではなく、立場が違うだけなのです。

同じ立場の人は仲良くできますが、立場が違うだけなのです。

体が違えば立場も違いますし、感じ方や受け止め方でさえ、すべて違うのです。

同じ立場の人でも所々違いがあるので、その違いは悪ではなく、ノイズみたいな感じなのだと思います。

んで、人間はどちらかというと楽な方に流れますのでこういったことが続くと堕落してゆくだろう話だと思います。

ツイッター上でも多いですが、字面で批判するのは論理的なのですが、字面でないことまで想像して非論理的に批判を重ねる人がけっこうな学者さんでも見受けられるようになったので、けっこう日本の未来を悲観している話です。

以上、正しいことを言うと反感を買う理由の話でした。

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