小林多喜二 四国新聞社 伊藤純氏 提供写真

マルクスの資本家と労働者の対立を地主と小作農の対立として小説へ


本日2月20日はプロレタリア作家 小林多喜二の命日です。


マルクスにのめりこんだ話はこちらでしました。


マルクスが歴史の争いを階級闘争に見て、

  • 資本家(経営者)と労働者の対立で

考えた思想を小説で表現する流れがプロレタリア文学で、小林多喜二はその旗手でした。

その頃の日本においては地主と小作農家の対立が顕著で小林多喜二の作品では『不在地主』や『防雪林』が有名です。


太宰治も津軽の地主の子なのですが、地主の子がマルクス思想や共産主義に共鳴するとき思い悩むことが多いのが日本の特徴です。

小林多喜二自身も北海道の拓殖銀行へ就職するぐらいのエリートだったのですが、小説家を目指すために退職してしまいました。

そして、当時のマルクス思想は左翼やアカなどと表現され、かなり厳しめに取り締まりを受けています。

と言うのも真面目に言論の自由を許していたら、あまりにも正論なため、秩序を維持できなかったからです。

今でこそツイッターで表現の自由は確保されましたが、それでも中国なんかではいまだに取り締まりや規制がありますし、いくら言論の自由とは言え、言っていいことと悪いことがあるのも真実であったりします。

代表作『蟹工船』はカニの缶詰を作る漁船の工員ストライキの話


小林多喜二の代表的な作品は『蟹工船』でした。

蟹を漁獲して蟹の缶詰を作る船の物語で、劣悪な労働環境にしびれを切らした工員が反抗する物語として有名です。

このことはお金を儲ける人がいる一方で、劣悪な労働環境に置かれてかなりしんどい思いをするのに報われない人たちが大勢いることを象徴的にあらわしています。

なかでも印象的なのは缶詰に石を入れる場面で、劣悪な労働環境への反抗として、

  • 「石ころでも入れておけ! かまうもんか!」

という記述があったりします。

それも検閲を受けた過程でそのままの表現の本や違う表現の本があったりするのもプロレタリア文学を読みすすめていくなかでおもしろいところです。

ほかに葉山嘉樹や宮本百合子などの作家がいますが、当時のプロレタリア文学の作品は検閲だらけでその伏せ字を想像しながら読み解くのも醍醐味としておもしろいところだと思います。


お金儲けをする一方、苦しんでる人もいるワケで、その矛盾に気がつくとき、プロレタリア文学やマルクス主義、共産主義思想にたどりつくのだと思われます。

村八分の中で正論を言うと逮捕される歴史はおそらく繰り返す


とは言え、当時の日本で正論を言うことの難しさは小林多喜二自身も痛感していたことだと思います。

1933年2月20日、特高警察に逮捕され、寒中の中、丸裸にされ、ステッキのような物で叩かれて亡くなったと言われています。

不審な死を遂げたので解剖医も辞退するぐらい警察の力が強かったことをあらわしています。

母・セキは多喜二の遺体を抱きしめて、

  • 「それ、もう一度立たねか、みんなのためもう一度立たねか!」

と叫んだと言われています。

この印象があまりにも強烈なため、日本においてはマルクス主義思想も共産主義思想も及び腰で根づかなかったのだと思います。

太宰治も同じような左翼の活動をして捕まりました。


それぐらいその時代に共通した問題意識と共通した思想であったように思います。

ですが、

  • その後どうなったのか?

と言えばご存じのように戦争に突入していったという皮肉な歴史もあります。

ちょうど時代の空気は似ていて、

  • 関東大震災(1923年)後の不景気、
  • 世界大恐慌(1929年)まっただなかの不景気

な時代の話です。

時代を考察してみるに歴史は繰り返していて、既得権益は常に老害との戦いでもあったりします。

そして、お金儲けは批判されるのですが、どちらかと言えばそれはお金持ちの方から問題が提起されたり、活動が開始されています。

ですが、あまり民衆には響きわたらずに活動をした本人や熱心に活動した方々が損をするのも今と似ているような気がするのです。

小林多喜二も黙っていれば拓殖銀行の銀行員で食うに困らぬ人生でした。

ですが、反権力や反金儲け批判をしたために捕らえられ獄中で帰らぬ人となってしまいました。

このへんが難しいところで、本人が望んだ結果とはかなりかけ離れている点だと思います。

その後、気運が盛り上がるところか?

かえって下火となり忘れさられた点を考えるとき、小林多喜二の死はあまりにもムダ死にすぎて、かわいそうだと思ってしまうからです。