正論は論理的に正しいので法律


ワイドナショーでロジックハラスメントが問題になりました。


いわゆる正論で相手を追いつめるハラスメントなのですが、正論で追い詰められて困るのは本人であったりします。

正論って論理的に正しいから正論なので、正論はほぼほぼ法律である場合が多いのです。

つまり、このハラスメントが許されたら日本中、みんな法律を破っても仕方がない社会になる恐れがあります。

以下にその問題点も含め、考察してまいります。

何か嫌がハラスメントの精神分析


ハラスメントはされては困る行為なのですが、ロジックハラスメントであれば相手から正論で追い詰められて困るという表現が成り立ちます。

世にいろんなハラスメントがありますが、それにはいろんな原因があり、その多くは正義によって成立しています。

セクハラであれば性的なハラスメントであり、パワハラであれば権力的なハラスメントであります。

そして、それは性的なものにより他方が困り、権力的なものにより他方が困るという解釈であったりします。

ここへ来てロジックハラスメントが問題になりましたが、それは正論を突きつけられて困るので、それは正直、あなたが困るとしか言えなかったりします。

正論は正しいのでジャッジできない


正論って正論なので、正しいのです。

たとえばセクハラの性的であれば男性と女性で性差がジャッジできます。

またはパワハラであれば権力なので権力者と従事者で言い分をジャッジできます。

ですが、正論は正論なのでジャッジできないのです。

正論はジャッジしようがない本人も認めるところの正義だからです。

なので、単純に正論を突きつけられたあなたが困るという個人的な問題になります。

場の空気は最近、真面目に研究されている


最近のハラスメントな話題を考えるとき、セクハラやパワハラやモラルハラスメントまで含め、嫌がればハラスメントが成り立つ風潮が見受けられます。

ですが、これは誤りであり、嫌がればハラスメントが成立すれば嫌がられたり、あやしいヤツが、その場の雰囲気だけで逮捕される恐ろしい社会が間近に迫ってきています。

こういったことは戦争中にもあって、多くは場の空気が支配的でありました。

んで、この空気を真面目に研究している学者さんなんかもいたりして、この空気に反することを『抗空気罪』と命名したりしています。

ちなみに『抗空気罪』は社会的に葬るほどの力をもっています。


この空気という概念は「社会的知能(ソーシャル・インテリジェンス)」とも表現されていて、主に3名以上のコミュニケーションから成立するものとされています。

つまり、対人的な一対一では起こりづらく、一対二やそれ以上のときに、主に多数決や力関係が発生した際に有意に働きます。

いじめの原因も場の空気?


ある考えや感情が、一対一であればそれをストレートに表現できますが、一対二やそれ以上になってくるとき、どちらか支配的な空気が出来あがり、そちらに影響を受けやすい点です。

いじめの原理もなかばこの場の空気に依存している場合が多く、それは学校やクラスによる多数決の思い込みや主観が原因になってある場合が考えられます。

この多数決のキャラクターがその人のイメージとなり、それを演じ続けるか?いなか?によっていじめられるか?いじめられないか?も決定されているみたいです。


そのぐらい日本においては場の空気やいじめ文化が支配的なのです。

つまり、多くが不快と感じれば、その人は不快になります。

多くが爽やかと感じれば、その人は爽やかに感じます。

逆にそこで多数に反して逆の意見を述べれば場の空気を乱すものや新たなハラスメントとして排斥される恐れの方が強くなってまいりました。


このような多数の意見や多くの空気に反する行動を『抗空気罪』と言います。

ですが、この空気も当ブログで長らく観察するところ、それはあなたの頭の中で起こっている主観であり、あなたの頭の中の空気である場合の方が多いのです。


ですが、そのあなたの頭の中の主観が多数派になるとき、それは共通した世界を作りあげ、正論でさえもハラスメントとして認定しても恥じないぐらい共通な事象で共有されるのだと思います。