太宰治に見るレベルが違いすぎるダメ人間
太宰治が大好きだった話はこちらでしました。
- 自分を演じて薬物に溺れた元祖アダルトチルドレン 太宰治の話
- https://www.onechan1977.com/respect/Osamu-Dazai
- 太宰治と三島由紀夫にみる日本人の精神分析の話
- https://www.onechan1977.com/psychology/Dazai-Mishima
それは太宰治がどうしようもないダメ人間だったからです。
太宰治と言えば最期、心中したことで有名です。
その話はかなり美化され過ぎて命日は桜桃忌として供養されてますが、太宰の心中はこのときばかりではなく、何度も自殺未遂をおこなっている点なのです。
ちなみに太宰治の自殺未遂歴は、
- 1929年12月未明 カルモチン自殺未遂(懸賞小説応募落選のため)
- 1930年11月28日 カルモチン自殺未遂(女給 田部シメ子だけ亡くなる)
- 1935年3月18日 鎌倉で首吊り自殺未遂(都新聞社の入社試験不合格のため)
- 1937年3月下旬 カルモチン自殺未遂(初めの妻 小山初代と。妻の不貞行為が原因)
- 1948年6月13日 玉川上水で入水自殺(愛人の山崎富栄と)
太宰治は津軽の名家の生まれで、幼い頃より恵まれた環境に育ちましたが、高校の頃や作家の頃より退廃的となり、何度も自殺未遂を繰り返すようになります。
その都度、実家の津島家から金銭的な支援であったり、冷たい勘当であったり、さまざまな対応をされました。
助けても助けても助け甲斐がまったくない変わらなさ
このことから言える点は、結局、ダメ人間はあまり変わらずに最期までダメ人間である場合が多いのです。
そして、よく育児にもあるがちな点なのですが、
- こんなに手をかけたのに…!
や、
- 私の育てた方が間違っていた?
に、かかわらず、ダメ人間はダメ人間でありつづけるということに気がつかない人が多いように思いました。
つまり、
- こんなに手をかけたのに…!
や、
- 私の育てた方が間違っていた?
と言う人たちの頭にはある型があって、
- こんだけ手をかければある型にハマって、
- 私の育てた方ではこの型にハマる
という、どちらかと言えば愛情というよりも支配である場合が多いのです。
太宰治も1回目の心中では、太宰自身は助かり、相手の田部シメ子は亡くなってしまいました。
それでも助けられる太宰治という愛すべきダメ人間
その都度、太宰を取り囲む友人らは再三注意をしたり、正しいと思われる道へ戻そうと懸命に腐心したりしています。
「世間というのは、君じゃないか」という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。(それは世間が、ゆるさない)(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)(世間じゃない。あなたでしょう?)(いまに世間から葬られる)(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
太宰の薬物依存が深刻になったとき、唯一の恩師である井伏鱒二が薬物依存克服のために病院を紹介した話はかなり有名であったりします。
ちょうど家庭を持っていたこともあり、娘ができたこともあり、太宰治は薬物依存克服のため、病院で治療を受けました。
このように周りのみんなが腐心して、正しいと思われる方へ軌道修正を行なっても、やはり最期は山崎富江と玉川に入水自殺してしまったのです。
この入水自殺だけ取り上げられ、かなり美化されておりますが、実はこれは最期の最期の話であって、太宰を取り巻く友人や恩師らにしてみれば、ホント、
- 恩知らずなヤツ
だったと言うことができます。
もしかしたら昔の人の方が寛容なのかもしれませんが、ダメ人間が決してダメなのではなく、ダメ人間はダメ人間なりに生きていくしかないという話です。
そして、それを取り巻く友人や家族や恩師らも、できるだけ正しい方へ軌道修正をはかりますが、やはりダメ人間はダメである場合が多いと言う点なのです。
それは育児に見られる、
- こんなに手をかけたのに…!
や、
- 私の育て方が間違っていた?
にかかわらずにダメ人間でありつづける場合が多いのです。
なので、こういったダメ人間にかかわる場合は、正しい方へ軌道修正できなくても当たり前という見返りを求めない愛情が必要になると思います。
逆に、
- こんなに手をかけたのに…!
や、
- 私の育て方が間違っていた?
と怒ってしまう人たちの頭の中には、自分の願望やなにかしらの見たい世界や見たい映像があるのかもしれません。
実際に現実には、あなたの意に反して、ダメ人間はやはりダメ人間のまま、
- どんだけ手をかけても、
- どんだけ教え諭しても、
変わらないという現実を痛感することになると思います。
なぜなら、それが太宰治のようなダメ人間だからです。
太宰治は『人間失格』という小説を書いています。
確かに太宰治は人間として失格のように思われます。
ですが、さまざまな人たちが救いの手を差し伸べてくれたという現実に、ある程度の救いがあるので、それは人間として失格ではないように思うのです。
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